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白昼夢、或いは全部勘違い

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杉元佐一の好きなところを綴る

今更ながらに「ゴールデンカムイ」を読んだ。
息切れしながら「あああああああああ」と膝を叩きつつ読んだ。
あと「チタタプ!チタタプ!」と言いながら読んだ。
「チタタプ!」と言いすぎて夫に叱られた。

これはゴールデンカムイを読んで数日の私が書いているものなので、気合の入った愛読者の方がいればお手柔らかに願いたい。
ネタバレはしないというか具体的なエピソードには言及しないので未読の方は安心してほしい。

本題に入る。

主人公の杉元佐一が好きだ。ああ好きだ。
私は夢女子ではないしそんなに腐女子でもないので、どう好きかというと恋というより憧れに近い。
そんな杉元佐一の好きなところを綴ろうと思う。

  1. 相手を1人の人間として扱うところ
  2. 異文化への接し方
  3. 強い
  4. かっこいい
  5. 可愛い

以下、詳しく綴る。

相手を1人の人間として扱うところ
これは主にアシリパさんへの態度だ。
アシリパさんは、杉元より年下の、いわゆる「女の子」だ。
杉元はそんなアシリパさんの狩猟や自然に対する知識・経験の深さに素直に敬意を表するが、そこには「女の子なのにすごい」という思いが感じられない。
相手を「子どもだから」「女だから」と軽んじるのはあからさまに褒められたことではない。
しかしそれより厄介なのは「女の子なのにすごいね」という態度だと私は思う。
一見認めているようだが、ともすれば本人も気づかないうちに相手の属性を軽んじていることが前提にある評価の仕方は、あまり気持ちが良いものではない。
杉元の、属性にとらわれることなくただ1人の人間として相手を扱う言動が、私にはとても好ましいものに見える。
(相手を1人の人間として扱う人が人を殺すのか、というのはまた別の話だ)

異文化への接し方
「異文化理解」という言葉はあまり好きではない。
心の底から理解できないから異文化なのだと思うからだ。
(「異」というのも好きではないのだが、適当な言葉が見つからないので遣う)
杉元のアイヌ文化に対する接し方が私は好きだし、あのような姿勢がとれたらとすら思った。
「異文化を受け入れる」とはどういうことだろう。
私は、相手も、そして自分も否定することなく、対象をただそこにあるものとすることだと思っている。
相手の提示するものを丸ごと飲み込むのではなく、闇雲に否定するでもなく、そして自分の物差しはそのままに、「そういうものか」と思えること。
そしてそれは多少「異文化」から衝撃を受けても「自分」が揺らがないから出来ることだと思う。
杉元が沢山のアイヌ文化に触れる素直な姿勢が愛おしく、またうらやましくもある。

強い
その強さに不自然さがないところ、生きている臭いがするところが好きだ。

かっこいい
かっこいい

可愛い
あんなにかっこいいのに時々めっちゃ可愛いの、ずるくない?

ゴールデンカムイはとてつもなく面白いので、興味がある方は是非。

(えっまだ顔に傷のある男が好きなの?と12歳の私が問いかけてくる)

読書感想文「車輪の下」

「心を殺す」ことは、肉体的な死に先行した死であると思った。

「中学生におススメ!」との帯がついた世界的名作だが、読んだことがなかったので、真面目に読んだ。真面目だから。

小さな町始まって以来の秀才であるハンス少年は、少年時代のあらゆる美しいもの、野うさぎと遊ぶことであったり手作りの竿で魚釣りをすることであったり友人と野山を駆け回ることであったりの全てと引き換えにして、神学校へ2番の成績で入学する。
詰め込まれる勉学、奔放な友人との出会いと別れを経て、ハンス少年は精神の均衡を崩し、幸福とは言い難い最期を迎えることとなる。

天才ではなく勤勉、ただひたすら努力のみによって結果を積み重ねるハンス少年の原動力はなんだったのだろうかと想像する。
父親、故郷の教師や神父など様々な人々が、ハンス少年に安定して恵まれた道を歩むことを望み、娯楽を遠ざけ、勉学を良しとする。
それは果たして、ハンス少年の望んだことだったのだろうか。14歳前後、20世紀初頭、少年が自分で自分の道を選べなくても無理はない。
選ぶと言うことすら思いつかないのかもしれない。
体調を崩しても勉学に打ち込み、ついに心身を喪失してしまう様は痛々しい。
世間が自分に求めているのは神学校でよい成績をとることだけだと思っていたのだろうかと想像すると、私はあまりに悲しい気持ちがする。

本作において唯一と言っていいほど「心を殺さずに」生きているのは、ハンス少年の同級であるハイルナーだ。
奔放で、豊かな感受性を持ち、雄弁な詩人である彼に惹かれるのはわけもないことで、私も漏れなく彼の強烈なキャラクターにときめきを覚えた。
彼は「心を殺さない」選択をした結果、神学校から逃走する。心を殺さないための代償だが、その損失は当時の社会からすれば多大だろうと想像する。
大きな代償を払って手にした「心」はどんなものだったのだろうか。私にはわからない。

仲の良い同級生であったハンス少年とハイルナーの決定的な違いは、この「心を殺す」か否かだろう。
ハイルナーのように生きられなかったハンス少年は、心を殺し続け、心身を喪失し、結局は肉体的な死を迎える。しかし私は、ハンス少年は肉体的な死を迎えるそのずっと前にもう「死んでいた」のではないかと思った。
心を殺して生きることは、社会的に見てどんなに立派であろうとも、果たして生きていると言えるのだろうか。

「生きている」とはなんだろう、私は今生きていると言えるのだろうか、そんなことを考えた。



蛇足。
ハイルナーはなんの手助けにもならなくてしかも手のかかる良いとこなしのオスカー(トーマの心臓)って感じでサイコーだった。
オスカーは最強だなあ。

世界遺産検定3級に合格した話

(役に立つ勉強法などは書かないので、そういうのを探してる人は他のサイトへどうぞ)

世界遺産検定3級を受験し、合格した。
ぶっちゃけ「まあ受かるでしょ」と思っていたので喜びはそこそこ。だってたくさん勉強したもん。

世界遺産検定と私
世界遺産検定|NPO法人 世界遺産アカデミー
私が世界遺産検定を知ったのは、世界遺産検定1級合格者である俳優の鈴木亮平さん(変態仮面)が、テレビで語っていたのをたまたま見た、というごくありがちな場面だ。
「へー、そんな検定あるんだー」と思ったことを覚えている。

その数年後、「なんでもいいから愉快な勉強がしたい」と思う機会があった。詳しくは後述。
「あからさまな《勉強》であること」と、「私の生業に無関係であること」の2点を満たし、尚且つ興味を惹かれるものとして、世界遺産検定のことを思い出した。
世界史を教えているとか旅行会社に勤めているとかではないので、とにかく生活に(表面的には)無関係な勉強がしたかった。現実逃避といっても過言ではない。

あと、地元に世界遺産に登録されたものが1点、推薦が決定しているものが1点あり、特に推薦された遺産は私にとって馴染み深く足も運んでいるものなので、今一度「世界遺産」を学ぼうと思ったというのもある。

事前知識と3級
高校では世界史を選択していた。12年も前の話だけれど。
センター試験の受験科目でもあったので真剣に取り組んでいたし、それなりに得意な科目でもあった。
3級で出題される遺産は知っているもの、懐かしさすら覚えるものも多く、ちょうど良いな、という印象だった。
なので、世界史経験者であればとっつきやすいと思う。

受験してよかったこと
私が欲しかったものが手に入った

  • 「私は勉強に取り組むことができる」という成功体験
  • 客観的な教養
  • 数値的な外部からの評価

仕事に関係する資格試験に落ち続け、受験する気も湧かなくなってきた。
「私はもう勉強そのものができないクソポンコツなのではないか」とすら思い始めていた。
なので、わかりやすく揺るぎようのない評価が欲しかった。
「私は勉強が大好き」ということを思い出し、とても楽しい気持ちになった。
そう、私は勉強するのが大好きな子どもだったのだ。
大人になった今は好きなことを好きなだけ勉強したっていいのだ。大人、最高ではないだろうか。

楽しかったこと
世界地理が前よりわかるようになった
元々私は恥ずかしい程国の場所がわからないポンコツであったが、特に自然遺産は簡単な世界地図を書いて書き込む方法で学習したこと、国境沿いの世界遺産保有国が複数あることなどから、前よりはぼんやりと、世界の様子がわかるようになった。
知っていることが増えるのは、楽しい。

訪問済みの遺産に改めて詳しくなった
旅行会社のツアーでなんとなく「世界遺産!」と書かれていたあのお城、こういうところだったんだ、と知るのは不勉強をあらわにするようで恥ずかしくもあり、記憶が呼び起こされる愉快な作業でもあった。

行きたいところが増えた
カトマンズ渓谷に行きたい。

知識欲が湧いている
今年の秋を目標に2級も受ける。

というわけで、世界遺産検定の受験は大変に楽しかったので、お勧めするべくこれを書いた。
3級のテキストと過去問が欲しい私の友人は連絡をください。先着であげます。

好きなものを作った人に好きだと伝えることができるのは、どれ程尊いことか2018

好きで好きで好きで好きで仕方のない漫画を描く人に「大好きです」と面と向かって伝える機会を得た。

好きなものを作った人に好きだと伝えることができるのは、どれ程尊いことか - 白昼夢、或いは全部勘違い

詳しいことは勿体無くて書けない。
ああ、書けない。
何枚も何枚も何枚も下書きして推敲して書き直して出来上がった手紙を渡して、「大好きです」と声を出して伝えることが出来た。
目を見ることは出来なかった。
ほとんど俯いて話す私に「ありがとうございます!」と声をかけてくださった。

同じ時代に生きていること、何と尊いのかと思った。
心底生きていてよかったと思った。
もっと、自分のことを大切にしようと思った。
好きな人に好きだと伝えるために努力できる自分のことが、少しだけ好きになった。
私があの人の漫画に向ける有り余るほどの「好き」は、ついに溢れて私の方にまでやってきたようだ。

ねえ、そんな機会はそう多くないよ。
そんなことわかっていた。
でも、私は一つ前の機会をみすみす逃してからあの日まで、ずっと後悔していた。
次の機会があるのかもわからなかった。
いつ筆を折るかもしれなかった。そんな素振りはなかったけれど、可能性なんて幾らでもある。
筆を折ること、バンドであれば解散したり脱退したりすること、表舞台から去ってしまうこと、悲しいことに幾らでも経験しているくせに、私は一つ前の機会をみすみす逃した。
だから、私は、大好きな大好きな漫画を描くあの人に好きだと伝えられたことが、そしてそれが伝わったことが、とてもとても嬉しかった。

一から生み出されたものを私が受け取れただけでも、とんでもない奇跡なのだ。
世の中に溢れかえる漫画たちの、たまたま私の手元にやってきたものが、私の琴線に触れるどころか私の琴線を引きちぎるようなものであったこと、それ自体がもう、あり得ないことなのだ。
更に私は公開された宛先に感想を伝えることが許された。それだって作り手それぞれ、私なんかtwitter星一つ貰っただけでブロックするような不届き者だ。(反省はしている。最近はやってない。)
更に更に、直接感想を伝える機会を与えられたのだ。私はなんと幸福なのであろうか。

今回はたまたま漫画を描く人であったが、私の好きなものを生み出す人、誰にでも同じことが言える。
私の大好きな大好きな超歌手大森靖子さんは、信じがたい頻度で「大好き」を贈る機会を与えてくれる。
手紙は、最近は「短く、濃く」をテーマに、ハガキに綴ったものを投函している。
ファンレターの宛先は六本木ではなく南青山なので要注意だ。
ファンクラブイベントでチェキだって撮ってもらえることもある。
友達より高い頻度で送られてくるLINE、コミュニケーションとしてのLINEライブ、挙げればきりがない。

何よりライブで、今、生きている大森さんから今生きている私へ、音楽を届けてくれる。
同じ時代に生きていることのなんと幸福なことか。
好きだと伝える機会を与えてもらえることのなんとありがたいことか。

という気持ちでバスツアーの2次申し込みに応募したので当たって欲しい。

「絶対絶望絶好調」のMVと昔のはなし

私が大森さんのライブを初めて見たのが2013年3月。
メジャーデビューが発表されたのが2014年3月リキッドルーム
初めて長崎でライブをしてくれたのが2014年9月。
メジャーデビューシングルが発売されたのが2014年9月。
「ああ、大森さんってメジャーデビューしたんだな」と私がようやく実感できたのが、2014年11月。
「絶対絶望絶好調」のMVが公開された時だ。

よくある昔のはなしをする。
高校生のとき、私の全ては勉強と部活と、あと藤くんだった。
藤くんは私のMDの中で毎日歌っていた。
周りの音を遮断しないと、登下校のバスに乗ることもできなかった。
下校中はずっと「グロリアスレボリューション」を聴いていた。毎日毎日毎日毎日毎日毎日。

胸を張って誇れるもんが自分にどんだけあるのかって?
名前と誕生日とキュートな指紋くらいあれば十分だろう。

そう歌って貰わないと泣いてしまいそうだった。

生まれたことを恨むのなら ちゃんと生きてからにしろ

多分この人がいなかったら、私は生きてないだろうな、とすら今でも思う。
藤くんは私の宗教で教祖様だった。
(今は「元教祖」と呼んでいる)

何でこんな話をしているのかというと。

大森靖子「絶対絶望絶好調」MusicClip - YouTube

「絶対絶望絶好調」のMVは番場秀一さんが監督をされている。
そう、毎度おなじみ、番場監督だ。

BUMP OF CHICKEN『sailing day』 - YouTube

高校生のとき、友達が録画してくれたスペースシャワーTVのVHSが擦り切れるほど見た、番場監督のMV。
「絶対絶望絶好調」のMVを見たとき、「番場監督だ!!!!!」と思った。
「きゅるきゅる」も同じくだと知ってはいるけれど、「絶対絶望絶好調」は、私の思う「番場監督のMV」そのものだった。

大森さんのMV、番場監督だ。
私が高校生のとき、気が狂いそうに好きだった、画面の中にしかいないあの人のMVと、同じ質感の映像の中にいた。
「あー、大森さん、メジャーアーティストなんだ」と思った。

大森さんに出会ったあの日から、ずっと、大森さんに300万枚くらい売れてほしいと思っている。
田舎で泣きながら登下校していた私のMDに入るくらい、必要な人のところにどこへだって届いてほしいとずっと願っている。
番場監督の世界の中で動き回る大森さんを見たとき、「これならあの日の私に届くかもしれない」と思って、少しだけ泣いた。

読書感想メモ「霊応ゲーム」

(あらすじとか結末とか言及する)

霊応ゲーム (ハヤカワ文庫NV)

霊応ゲーム (ハヤカワ文庫NV)

きみに手出しをしようなんてやつはだれもいないさ。そんなことをするやつはだれだって、このぼくが殺してやるからな

ミステリだったり思春期の美少年が云々であったり性的マイノリティが歴史的にどうのであったり破綻した夫婦関係であったりオカルトであったり色々な側面はあるだろうが、私はこの作品の「幼少期から思春期における保護者からの安定した愛情の不足」、所謂「愛着」の問題の描かれ方に惹きつけられた。

イングランドの伝統あるパブリック・スクールが舞台。
孤高の美少年がいじめられっ子に手を差し伸べたところから、不幸な事件なのか怪奇現象なのか、が起きる。
「霊応ゲーム」は「こっくりさん」のようなものらしい。肝心の場面は謎のままなので不明。
不思議な力でいじめっ子や意地悪な教師が不幸な目に遭っていく様は呪いのようだ。
同じく寄宿学校であるギムナジウムを舞台とした作品「トーマの心臓」はキリスト教文学のような側面があるけれども、この作品は宗教性を全く感じなかった。
度々出てくる礼拝の場面や聖職者が薄っぺらく見える描写もわざとなのだろうか?
単純に「イングランドだし神より伝統って感じなのかなー」くらいの浅い理解しか持っていないが、呪いのような「霊応ゲーム」も悪魔よりは精霊という印象だ。違いはよくわからないので適当に書いている。

私は「憎くなければ愛ではないのかもしれない」と思わせるような物語を好んで読むけれど、解説に「史上最凶のヤンデレ」と書かれたリチャードの愛はまさに憎しみと紙一重だ。

孤高の美少年であったリチャードはいじめられっ子で気弱なジョナサンに、初めは庇護を、そして独占欲を、最後には憎しみを向ける。
ジョナサンが指摘するには、リチャードが延々と無数の他者に向け続ける憎しみの根源は、母親に置いて逝かれたことだという。
ジョナサンは離婚した父を後妻に取られそうになっている。同級生のニコラスは、死んだ兄と自分を比較しているであろう両親に負い目と不安を持っている。同じく同級生の双子は、兄には兄として負わされた責任がのしかかるし、弟は兄からの自立を模索する。
彼らは皆14歳であり、親元を離れ全寮制の学校で暮らすことを至上の名誉とされている。
それぞれがそれぞれに、親との関係性に足りないものがあるにも関わらず、だ。

「人前で泣いてはいけない」「弱い人間だと思われたら下に見られる」とされる学校生活の中で、ジョナサンは失われつつある父親の愛情の代替を、かつては上級生に、のちにリチャードに求める。
しかし完璧に見えるリチャードも成熟した父親(この世に成熟した父親なるものが存在するのかは知らない)などではなく、母親からの愛情を失った孤独な少年であり、ジョナサンが自分から離れていくことにも、自分とジョナサンを引き裂くものにも、過剰な拒否反応と攻撃を示す。
一見、互いの要求が一致したように見えた彼らは少しずつズレを起こしていき、エンディングを迎えることとなる。

他者からの安定した愛情、その場にいなくてもいつだって自分を肯定してくれていると思える気持ち、「安全基地」と呼ばれるそれを少年たちが求め合うことの不安定さが描かれているように私は思った。

仲睦まじい頃のリチャードとジョナサンは、それはそれは美しい。
見目麗しく頭が良く弁も立ちそれでいて孤高の存在であったリチャードが、決して凡人ではないのに自信のないジョナサンとだけは友情を育み、2人だけの世界を作り出す。
賢いリチャードにしかできないやり方で、パブリック・スクールに蔓延る不条理からジョナサンを守り、「きみのようになりたい」と言わしめる関係性は危うくて儚いものかも知れないが、いっときの美しさを持っている。
そしてその関係性は恐怖と憎しみに取って代わる。
フィクションとしては、リチャードの「なぜぼくから離れていこうとするのか」という憎悪すら悍ましくも美しいものであるが、きっとリチャードのような思いをした少年なんていくらでもいるんだろうと思うと、彼らにもっと幸福な道はなかったのかと考えてしまう。

あとは、パブリック・スクールの歪さがよく描かれているのだろうけど、縁のない世界なので「こんなところなのかなあ」という印象だ。知識がないというのは残念なことだ。
戦場のメリークリスマス」でもスクールの場面があるが同じような印象を受けたので、きっとそういうものなのだろう。

ときめくかときめかないかでいうとめちゃくちゃときめく作品であったし、とびきりの美少年で映画化してほしい。

2018年2月に書いた!「絶対少女」(2013年12月発売)全曲感想文

レビューを書こうと思ったが感想文になったのでブログに書く。

私の思う、「大森さん」から「超歌手」への変遷は以下の通りだ。
-----ナマモノ------
大森さん 「魔法が使えないなら死にたい」
-----冷凍保存------
大森靖子 「絶対少女」「洗脳」
-----過渡期-------
大森靖子(概念)「TOKYO BLACK HOLE」
-----神へ---------
「超歌手」大森靖子 「kitixxxgaia」

大森さんが、大森さんから概念を経て神へと進む最初の1枚という印象を持っている。
なんと伝えればいいのか考えあぐねているので、一先ず全曲感想を書き出してみることにした。
改めて、「ああ〜好きなアルバムだな〜」と思うが、大体どのアルバムを聴いてもそれぞれの理由で「ああ〜好きなアルバムだな〜」と思っている。

絶対彼女
可愛い。とにかく可愛い。
私は意図的に大森さんに対して「可愛い」という形容詞を使わないようにしているが、これは可愛い。
これは、今の大森さんには殆ど見られない「隙のある可愛さ」がパッケージされた貴重な音源だと1曲目から確信する。
どの音源にも言えることだろうが、その時にしか録れないものが残されていることを、私はファンとして喜ばしく思う。

ミッドナイト清純異性交遊
ライブでの疾走感あるサウンドや、弾き語りで大切に紡がれるサウンドも勿論好きだが、原曲として発表されたのは、この打ち込みであったことを私はいつまでも忘れない。
ピンポン球が跳ねるような音、聞き覚えのある人はいるだろうか。
そう、「魔法が使えないなら死にたい」の「新宿」と同じく、カメダタク(オワリカラ)による編曲である。
なお、彼は新⚫️zのメンバーでもある。

エンドレスダンス
このCDのレコ発ツアーでも京都などで披露された、ドラムとギターによる編成だ。
ギター1本の時よりミニマルなサウンドに聴こえるのが不思議である。
1人でギターを持った大森さんは自由だし、アカペラの大森さんはさらに自由だ。
歌い方は、J-POPのバラードのような、あどけないハイティーンの女の子がエロい歌をわからないまま歌っているような、でもそれはこちらの都合のいい妄想で、本人は全部わかっているような、そんな印象を受ける。

あまい
ライブのイメージが強く、バンドの入りはもつとこう、「サマソニ!シンガロング!\イッツオーバー/」と思っていたが、改めて聞き直したら思ったよりしっぽりしていた。
だらしない、閉塞的な、2人しかいない世界観、それでいて1人の世界があること、それがCDに閉じ込められていることが堪らない。

Over The Party
今(2018年2月)のほうが大森さんはギターが上手いが、この曲を私が初めて聴いた2013年5月よりこの音源(2013年12月)のほうがギターが上手いし、大森さんはとにかくギターが上手い。
「メアドが変だから好きじゃない」という歌詞、おそらくもうとっくに古い言葉になってしまったことだろう。
当たり前に存在するであろう、通信手段としてLINEがネイティブな世代にはわからない感覚に違いない。
ほんの数年前なのに、風化を予言したかのような言葉選びの鋭さに舌を巻くばかり。

少女3 号
私の思う「一番大森さんっぽい歌い方」はこれだったりする。
曲の時間は驚きの短さ、なのにギターソロがこの長さ、少ない言葉と裏腹に脳裏に浮かぶ光景とそこから想起される感情の複雑さ、とても複雑なバランスで成り立っていると思う。
アウトロのキーボードの音が好き。

婦rick裸にて
これまた短い曲。突然の3拍子。
本当のようで虚構の歌詞、何故か大森さんがティンパニを叩いている。
合奏、という言葉を思い出す。

早く1000円返してよ

この歌詞はなぜか、おそ松さんの文房具のプロモーションに使われていた。

誰かの不幸を願うこと それが私の幸せよ

「女の子ってなんでできてる」という、マザーグースの詩を思い出した。

PS
今も一二を争うほど大好きな曲。
先日のライブで披露されたものもとても好きだったが、この音源では、声が少し拙くて、その感じと歌詞の(またもや)だらしない世界観がぴったりで、とても好き。

hayatochiri
発売前の頃によく更新されていたブログから歌詞が作られた曲。
多重録音というより、大森さんが沢山いて合唱しているように聴こえる。
グロッケン?のような音が音楽室を思い出させる。

アンダーグラウンドは東京にしかないんだよ

ライブでの印象は挑発的だが、ここでは、切実さを持って歌われている印象を受けた。
張り詰めたような声と儚いサウンドも切実さを持っている。

W
家で1人で歌っている大森さんってこんな感じかなー、と想像する。
1人でいる部屋で聴くと、隣で大森さんが歌ってくれているような気分になる。なにそれ最高じゃん。
大森さんって意外とテレビゲームと縁が深いよな、と思ったり。

展覧会の絵
ドラムがすごくシャンシャンしている。
発売当時、「弾き語りじゃないからってとやかく言いたくはないけど…これだけは…」とこっそり言ってくれた人がいた。多分時効なので書く。
同じくドラムとともに演奏された「エンドレスダンス」に比べると、ライブでの弾き語りに勢いが近い印象を受ける。
ので、大森さんのギターはたまに打楽器のようだな、ということを思い出した。

青い部屋
完璧なので言うことはない。
このアルバムに、ピアニストとしての大森さんのという多彩な側面が収められていることも、とても好き。
あと、モチーフの一部になった映画「誰も知らない」も好き。

あれそれ
雰囲気が発売当時のライブの印象に一番近いのはこれ。
歌詞に合わせて、抑揚をつけたり台詞のようであったりと心情が演劇のように歌に込められているところは、今も変わらず聴けるもので、それも好き。

君と映画
私がバンドを褒め称える時の1番の表現は「今すぐコピーバンド組みたい」なのだけど、今すぐコピーバンド組みたい。
あとMVが可愛い。

I&YOU&I&YOU&I
大森靖子ってなんなの?アイドル?」と言われていた頃に、タンポポの弾き語りカバーを持ってくる大胆さよ。

何年経っても毎日お話聞いてほしい
30分だけ

聴くたびに思うが、30分は長いし、それを「だけ」と言う女の子は可愛いし、とんでもない歌詞だ。


色々書いたけど、いいアルバムだよ。