
- 作者: 野田サトル
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/01/19
- メディア: コミック
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今更ながらに「ゴールデンカムイ」を読んだ。
息切れしながら「あああああああああ」と膝を叩きつつ読んだ。
あと「チタタプ!チタタプ!」と言いながら読んだ。
「チタタプ!」と言いすぎて夫に叱られた。
これはゴールデンカムイを読んで数日の私が書いているものなので、気合の入った愛読者の方がいればお手柔らかに願いたい。
ネタバレはしないというか具体的なエピソードには言及しないので未読の方は安心してほしい。
本題に入る。
主人公の杉元佐一が好きだ。ああ好きだ。
私は夢女子ではないしそんなに腐女子でもないので、どう好きかというと恋というより憧れに近い。
そんな杉元佐一の好きなところを綴ろうと思う。
- 相手を1人の人間として扱うところ
- 異文化への接し方
- 強い
- かっこいい
- 可愛い
以下、詳しく綴る。
相手を1人の人間として扱うところ
これは主にアシリパさんへの態度だ。
アシリパさんは、杉元より年下の、いわゆる「女の子」だ。
杉元はそんなアシリパさんの狩猟や自然に対する知識・経験の深さに素直に敬意を表するが、そこには「女の子なのにすごい」という思いが感じられない。
相手を「子どもだから」「女だから」と軽んじるのはあからさまに褒められたことではない。
しかしそれより厄介なのは「女の子なのにすごいね」という態度だと私は思う。
一見認めているようだが、ともすれば本人も気づかないうちに相手の属性を軽んじていることが前提にある評価の仕方は、あまり気持ちが良いものではない。
杉元の、属性にとらわれることなくただ1人の人間として相手を扱う言動が、私にはとても好ましいものに見える。
(相手を1人の人間として扱う人が人を殺すのか、というのはまた別の話だ)
異文化への接し方
「異文化理解」という言葉はあまり好きではない。
心の底から理解できないから異文化なのだと思うからだ。
(「異」というのも好きではないのだが、適当な言葉が見つからないので遣う)
杉元のアイヌ文化に対する接し方が私は好きだし、あのような姿勢がとれたらとすら思った。
「異文化を受け入れる」とはどういうことだろう。
私は、相手も、そして自分も否定することなく、対象をただそこにあるものとすることだと思っている。
相手の提示するものを丸ごと飲み込むのではなく、闇雲に否定するでもなく、そして自分の物差しはそのままに、「そういうものか」と思えること。
そしてそれは多少「異文化」から衝撃を受けても「自分」が揺らがないから出来ることだと思う。
杉元が沢山のアイヌ文化に触れる素直な姿勢が愛おしく、またうらやましくもある。
強い
その強さに不自然さがないところ、生きている臭いがするところが好きだ。
かっこいい
かっこいい
可愛い
あんなにかっこいいのに時々めっちゃ可愛いの、ずるくない?
ゴールデンカムイはとてつもなく面白いので、興味がある方は是非。
(えっまだ顔に傷のある男が好きなの?と12歳の私が問いかけてくる)