コンテンツの消費

白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

ちょっとどうかと思われたところで平気な人VS私

これは理解の崖っぷちだ。

GIRL'S GIRL

最初に述べておくが、私はあまり自分の性に興味がないというか、興味を持つであろう年頃に(今思うと)抑圧されていたので共感やエモーショナルな理解はあまり持っていない。
自分が「女の子」であることがひどく苦手で、どちらかというと気持ち悪いことだったし、抑圧を自覚する頃にはもう大人になっていた。
まあそんなことはどうでもいい。

まずはタイトルの「GIRL'S GIRL」。
「女の子の女の子」には多くの意味が込められているのだろう、と想像する。

最初に思ったのは「女の子の中にある『女の子』の像」、あるいは虚像。
女の子にとっての女の子、ということだ。
例えば、「おっさんの思う『(かわいい)女の子』」と、「女の子の思う『(かわいい)女の子』」の最小公倍数も最大公約数も、きっと異なるものになるだろう。
つまり、「GIRL'S GIRL」は、「女の子が所有する女の子」、であって、当事者である女の子が考える「女の子」を示しているのだと思う。

私が簡単に怒りを覚えてしまう、性の対象として消費される「JK」ではなくて、女の子が考える「女の子」がカルチャーとして私の目に入ってくるようになったのは、思いのほか最近だと感じる。
「愛され」「モテ」という受動態ではなく、「可愛い」という主体なのかな、とポジティブに捉えている。

もう一つは、2014年10月に開催されたピンクトカレフのワンマンライブで大森さんに充てがわれたキャッチコピー、「女の中の女」。
「男の中の男」をもじったこのフレーズは力強く、それでいて女であることを放棄するのではなく、「今手元にあるもの」を土台にしながら生きていることの強度が高まったような、あの頃の大森さんによく似合うものだ。

前置きが長くなるが、「女の子」の定義にも触れておきたい。
身体的な性別が女であること、および年若いことはおそらくあまり関係がなく、「女の子」を自認したり自覚したり葛藤したり標榜したり渇望したりする、あらゆるなにかに当てはまる歌だと思う。
それはMVに男性やお人形さん(と言っていいのか、差し支えあったらごめんなさい)が出演していることからもうかがい知れる。
「女の子」とはなんなのか。
マザーグース

男の子って何でできてる?
ぼろきれやカタツムリ、子犬の尻尾
そんなものでできてる
女の子って何でできてる?
砂糖やスパイス、すてきなことがら
そんなものでできてる

とうたっていたが、抽象度に差がありすぎやしないか。
私なら多分きび砂糖とグローブか八角あたりで出来ている。
それはともかく、単に「年若い、女」とは異なる範囲を持って、この歌を聴きたい。

「人生が可愛くないと生きてる価値なくない?」
「てめーが言うなよブス」
「チッ」

人生を主語にして、可愛いを述語にとることが出来るだなんて知らなかった。
可愛いは最強の形容詞だ。
ナナちゃんかわいい。

私はいつ完成するのかな
とりあえずみたいな自分で誤魔化してる
完成した私で恋とか仕事とかお茶とか自撮りとかしたいのに

私が完成するという発想がなかったので驚いた。私はポンコツなので。
完成した結果やりたいこととして並べられているものの多様性、仕事とお茶を並列にすることに、「人生」を「可愛い」とするヒントがあるように思う。

誰かに選ばれたいわけじゃない
私が私を選びたい
ありふれた可愛いとか無意味
突き抜けて可愛くなりたいんだ

MVで動き回るのがオーディションで「誰かに選ばれた」女の子達であることの意味が、私にはまだ消化できていない。
が、そもそも人前に立つことを自ら「選んだ」のかな、と思っている。
ファッション誌のキャッチコピーが「愛され」「幸せそうって思われたい」と、ひたすらに受動態であることに辟易していた頃もあった。
それとは異なり、ひたすらに能動的であること、どちらがいい悪いの話ではない。
しかし、選択肢があるとも思えなかった時代から、自分のやりたい方を選べることに価値があるのだとつくづく思う。

ダウンタウン 歩けない
ダウンタイム やるせない
性 警戒しないでBOY
整形 指さされ GIRL

このアルバムでは韻の踏み方、それとそれで韻を踏むんだ!?という驚きに満ち溢れている。
ダウンタイムはそれは遣る瀬無いだろうが、それを歌にしてくれた人が今までいたのか、いなかったのか、わからないけれど私が知る限りでは初めてなので、この、バキバキのサウンドに乗せて歌われる曲が、世界の遣る瀬無い人たちに届けばいいと思う。

2ヶ月恋愛できないし
元の私には戻らない
世界を愛してしまいたいから
自分に愛着持ちたいな

引き続きダウンタイムのことが歌われているのだろうか。
私は整形した経験がないのでわからないし、2ヶ月恋愛できないのが長いのか短いのかよくわからない。
わからないことばっかりだよ。

世界を愛せないのは世界が悪いのだと思っていた。
自分に愛着を持ちたいどころか、自分が自分に愛着を持っているのかすら、あまり意識したことがなかった。
自分のそれが悪いとは思わないが、このような世界との対峙の仕方もあるのだと知れたことに意義があるし、愛着はあるに越したことはない。

かわいいは正義に殴られた私が
いまにみてろと無理矢理作った
このかわいいは剥がれない
絶対誰にも剥がせない

先立っての2曲について書いたものでは、「これはこういう意味だと思う」ということを綴っていたが、この曲はそれを述べる必要がない。
わかりやすいからだ。

GIRL'S GIRL 女の子って最高
GIRL'S GIRL 女の子って最低

てめーら全然わかってない

全然わかってないから、こんなにわかりやすく歌ってくれたのだ。

私はこの曲を初めて聴いた時、「えっ、こんなにわかりやすくないと伝わらないかもって想定しないといけないの?」と思ってしまった。

だって、2番の歌詞はもう、読んでそのままだ。
(なので歌詞カードを書き写すのをサボる)
ダメ押しで日経デュアルの連載を読めば完璧。
ロックママ大森靖子 育児と夢の平行線(連載バックナンバー) | 日経DUAL

「わかりやすい」も「わかりにくい」も主観だし、どちらがいいでも悪いでも、優劣があるわけでも、勿論無い。
(「わかりにくい」に語弊があるなら「抽象的」とか「抽象度が高い」とかだろうか。)
曲への否定的な驚きでは無いことを明言しておく。

なぜなのか考えた。
「今の時代の女の子」を歌うに当たって、必要なのは驚くほどの「わかりやすさ」だったのだと思う。
それほど、「わかってない」と思わされる場面が溢れているからだろう。

わかってほしいとか思わないけど
わからないとかちょっとどうかと思う

こうでも思わなければやってられない。
とある、(主に女性が)働くことをテーマにした記事に「そもそも私たちは頑張っている。そして疲れている」という見出しがあったことを思い出した。
「わかってほしい」と思うのは疲れるのだ。
「どうかと思う」ことでやり過ごせることは、きっと少なく無い。

「僕のことだってわかってねーだろ」と思った少年はいるだろうか。
それは、私が「どうかと思う」と思ったこととは別の世界の出来事だ。
私が「どうかと思う」と感じた、あなたも「どうかと思う」と感じた、それはどちらもあり得る話で、対立する必要も競い合う必要もないことなのだろう。

女の子のことを歌ったこの曲から、私は、もはや女の子であるかを問わないあらゆる人と、とても良い意味で関係なく、それぞれがそれぞれとして最高にも最低にもやっていければいいのになあ、と夢のようなことを思った。

ちょっとどうかと思われたところで平気な人とは戦わない方がいいぞ、という自戒を込めて。

私たちはファンシー雑貨が万引きで潰れるような世界で生きている

REALITY MAGIC

(あーーーイントロの音色最高だなーーーーー)

クソカワPARTY クソカワPARTY クソカワPARTY
(ARE YOU READY?)
クソカワPARTY クソカワPARTY クソカワPARTY

まず、この「クソカワ」に言及する必要があるだろう。
「非常にかわいい」を意味するのはもちろんのこととして、特設サイトでは「クソみたいなものをカワイく表現」とされている。
合わせて、この「かわ」の掛詞について考えたい。
「かわ」は「川」であり「皮」だ。
「川」については他の曲でも歌われているので、「皮」のことを。
私が想起したのは「面の皮」だ。つらのかわ。
クソみたいな面の皮を被って参加するパーティだろうか。
それとも、自分で作り出した、自分で創造した可愛い自分を被って参加するパーティだろうか。
どちらにせよ仮面舞踏会だ。ハチャトゥリアン
私はどちらかというと上っ面を被って社会で必死に振る舞っている。
その皮がクソかといわれると、あんまり面白いものではないだろうなぁと思う。

魔法が使えない私にしかできないPARTY
悲しみを咲かすのさ
REALITY MAGIC

思う事しかない歌詞だ。
ここにたどり着いてくれた奇遇な方は、以下のブログも読んでいただければ幸い。
音楽くらいは魔法であってくれよと願う私と、音楽を魔法たらしめんとする西の魔女のこと - 白昼夢、或いは全部勘違い

「REALITY MAGIC」、現実的な魔法。
「音楽は魔法ではない」と歌ってきた大森さんの「現実的な魔法」とはなんなのか、念頭に置いて以下の歌詞を読んでいく。

心にポッカリ空いてしまった穴が
一生埋まらない それはそれで幸せ
おなかいっぱいでもアイスを食べたい時に
胃にスペースができるのみたいに幸せ

私の心にも一生埋めようのない穴くらいあるが、「それで幸せ」と歌われることで、「もしかしてそうなのかな」と改めて考えることにしてみた。
「大森さんがそういうなら幸せなんだろう」と思うほど思考を手放してはいないが、「大森さんがそういうならちょっと考え直してみようかな」と思うくらいには大森さんのことが好きだ。

アイスっつったら君に選んでもらいたい
ポッピングシャワーとかピンク☆パチキャン MAXとか
スモールダブルで半分こするのが
小豆と抹茶でいいなんて萎えるわ

大納言あずきのあの人を思い出した人はハイタッチしよう。しなくてもいい。
これを書くにあたり、記憶にある限り10年ぶりに31に行き初めてポッピングシャワーを食べた。
高校生の頃の自意識の塊だった私なら「こんなスクールカースト高そうなフレーバー選べない」と言いそうだな、と思った。かわいそうな子だ。
フレーバーにスクールカーストを感じるのは私だけだろうか。
「ベリーベリーストロベリー」や「ラブポーションサーティワン」もかなりハードルが高い。今キーボードを叩いているのも恥ずかしいくらいだ。31歳なのに。
「君に選んでもらいたい」と言いつつ、すでにフレーバーはほぼ指定してあるようなものだ。
つまり、「選んで」と言いつつ、「私の好きなものを当てて」であり、「君にとっての私のイメージが私の思う私と一致していて」ということだと私は思った。
ちなみに私はジャモカコーヒーが好きだ。覚えておいてほしい。

TRUE TRUE TRUE TRUE LOVE 大炎上
来る来る来ない来る来ない 超展開
キーロックする 既読スルー なんか怪しいけど
続けパラダイス

突然の藤井フミヤ
キーロックする」と「既読スルー」で韻を踏んでいることに眼を見張る。
アイスを選んでくれるような仲だった君が突然キーロックして既読スルーしたらどうだろうか。
なんか怪しいとしか言いようがない。
この様に、連続する事象で韻を踏んでいるというだけでなく、この、明らかにここ数年で生まれた言葉を簡単そうに操る大森さんに舌を巻くばかりだ。
私と大森さんは同い年だが、私には今現在の10代の子が既読スルーにどれほど打ちのめされるのか想像がつかない。
私が高校生の頃は10分メールの返信がなければ世界が終わった気持ちだったが、それと似て非なるものを手にすることは、私にはもうできない。
大森さんはそれをたやすく飛び越える。
「言葉の魔術師」というフレーズを実感するのは、なんてことのない日常を切り取ったような歌詞なのだ。

クソカワPARTY クソカワPARTY クソカワPARTY
(ねえ 愛して?)
クソカワPARTY クソカワPARTY クソカワPARTY
間違いまくってる私にしかつくれないJOY
絶望を活かすのさ
REALITY MAGIC

元ツイートが見つからず朧げで恐縮だが、著書「超歌手」の告知で「ダメでクソな部分も可愛いって言って」とあったと記憶している。
「クソ」であり「愛して」なのだ。
私がいっとうロマンチックだと思っているロックバンドの歌詞に「あんたのことなら全部わかるよ きたねえところも全部好きだよ」というものがある。
「汚い」と認識したうえで「全部好き」と言ってくれること、闇雲に良いものだとするのではなく、分かったうえで愛してくれること。
私は割かし夢見がちなので、これが愛の一種だと思っている。
なので、「クソ」であり「愛して」という並びにロマンチックを感じてならない。恥ずかしいな。
「間違いまくってる私」とあるが、間違っていると決めるのは誰なのだろうか。
世間ってやつか。
しゃくしゃく余裕で暮らしたい。

安心できる女がいいって言ったじゃん
ポッピングシャワーとかピンク☆パチキャン MAXみたいな
頭の女と街歩いてるのをみたよ
知ってたし何も言わないけどい・や・だ・よ

1番では(私の中で)スクールカーストの高いパブリックイメージの象徴であったポッピングシャワーが、今度は「これはちょっとダメージ大きい」出来事を表すのに遣われている。
驚きでしかない。「ポッピングシャワー」という言葉に、こんなに多様な情景を持たせることが出来る人がほかにいるだろうか。

安心してね ちゃんと傷ついてるから
やることなすこと名前と(笑)つけて
罵らなきゃ守れないほどの君らしさ
それすら愛おしく抱きしめてあげるよ

この部分に御託を並べるのも野暮だと思うのだが、一応。
「名前と(笑)つけて」はレッテル貼り、まあ多分メンヘラとか、そういうあれだろう。
かつて、大森さんのtwitterプロフィールに「エゴサは愛」と書いてあった。
今もそう思っているかは定かではないが、エゴサして悪口を見たって、それすら愛だと言ってくれることを、この歌詞から思い出した。

TRUE TRUE TRUE TRUE LIFE 大絶賛
狂う狂う狂う狂う LINE 超感情
既読スルー 孤独する才能しかないけど
地獄もパラダイス

「超感情」という言葉よ。
感情を超えてどこにいくのか。
高校生のとき、国語の先生から「超かわいいって、お前ら可愛いを超えてどこに行くつもりだ」と言われたことがあったが、それの更に上を行く言葉だ。
「超かわいい」でしか表現できない可愛さがあるのと同じく、「超感情」としか言いようのない感情だって、きっとあるんだろうなと思った。
あの時私が持っていたものに名前をつけるなら「超感情」かも知れないな、とか。
1番でも並々ならぬ韻の踏み方であったが、ここでは「既読スルー」に「孤独する」が掛けられている。
大森さんの遣う「孤独」の意味は著書「超歌手」に詳しいので、ぴんと来ていない人は是非読んでほしいと思う。
「孤独する」ことも才能なのだと教えてくれたのは大森さんだった。超楽しい地獄。

クソカワPARTY クソカワPARTY クソカワPARTY
(もーいっかい)
クソカワPARTY クソカワPARTY クソカワPARTY
魔法が使えない私にしかできないPARTY
悲しみを咲かすのさ
REALITY MAGIC

あなたとわたしさくらんぼ。

死体の埋まった公園でこどもが
ボールの放物線を睨んでいる
首吊りうさぎと首輪の犬と指切り
万引きで潰れたファンシー雑貨の店長さん

突然歌詞の世界観が急変したように思うが、私はこれがREALITY MAGICがREALITY MAGICであることの裏付けなのではないかと思った。
「万引きで潰れたファンシー雑貨の店長さん」、結局魔法なんてなくて、これが現実だという鋭さで私の記憶にあるファンシー雑貨を切り裂く。ジャスコの1階にあった、こげぱんのメモ帳を買ったあのお店。
ファンシー雑貨が万引きで潰れること、ファンシーでも何でもなく、しかし現実にいくらでも起こりうる、なんというか、リアルなのだ。
思い出すのは休日に生徒が万引きしたからとファンシー雑貨に呼び出されていた学校の先生の、たまらなくファンシー雑貨に似合わない身なりだ。

REALITY MAGIC

私たちはファンシー雑貨が万引きで潰れるような世界で生きている。
その世界で、ファンシー雑貨よりさらに形のない音楽をもってして「でも音楽は...」と繰り返し歌う大森さんのことが、私は大好きだ。

それでも 話をしよう そのために立っている

これは「歌詞、読めばわかるよなぁ」ということを、私が私の為に記録しているやたら長い文章だ。
書く必要あるのかなぁと思いながら、でも、私はこう思ったんだよということを表明したくてガチャガチャとキーボードを叩いている。

今回ほぼ全曲の編曲を担当しているANCHORさんはアニソン(と、十把一絡げにして申し訳ないが)を手掛けているとのことであるが、経歴を調べて「えっっすっご」と声が出てしまった。
この曲の「アニソンの論法だ!」と私が思ったところは、「テレビサイズはさらりとキャッチーなのに、それ以降では思っていたよりずっとえげつない」部分だ。

ZOC実験室

まず、「実験室」の話をしよう。
大森靖子の続・実験室」は、インディーズ時代の「大森靖子の実験室」を前身とした、現在ではファンクラブ「実験現場」の会員のみを対象としたイベントである。
「ZOC」と「続」の関連は言うまでもないと思うが、果たして「会員であること」は「ZOC」なのか、それは後述する。

あなたに届かない 攻撃も 魔法も
気持ちなんてそもそも 表示されないし

「ZOC」、大森さんがLINE LIVEにて話していた際に初めて知った言葉だったが、「攻撃の有効範囲」と認識している。
なので、この「あなたに届かない」のは「私の気持ちが伝わらない」を意味しているとして。
気になるのは、なぜ届かないのか、である。
攻撃の範囲を決めるのはなんなのだろうか。
(私が最後にクリアしたゲームはPS1の「るろうに剣心 十勇士陰謀編」なので、ゲームについてはお手柔らかに願いたい。)
そもそもレベルが低いから、攻撃力が足りない、HPだかMPだかが足りない、などだろうか。
それとも、相手の防御力やレベルが高いからだろうか。職業や属性の相性が悪いのかも知れない。
であれば、「あなたに私の気持ちが届かない」のは、「私」が「あなた」にマッチしていないのではないかと想像する。
けれど、歌われているとおり、気持ちはそもそも表示されないものである。
なので、届けたいものがあったとしても、それが届いたのか、有効なのか、届かなかったとしたらなぜか、そんなことはわからないのだ。

コマンドなる前に 消しちゃえば
恋なんてなかったみたいにね
なかったみたいにね

この「コマンドなる前に」が私にはいまいち意味がわからないので、ゲームに詳しい人がいたらご教示願いたい。
私の想像によると、負けそうになるとリセットボタンを押す大森さんだ。
前述の「あなたに届かない(届かなかった?)」コマンドが実行完了する前に取り消ししてしまえば、伝えたかったことは初めからなかったことになる、ということだろうか?
「恋なんてなかったみたいに」できるだろうか?
私には無理だ。

支配領域に 永遠にあなたはいない
知らないみたいに過ごすのはできるはず
簡単
ゲームをしないだけ ゲームをしないだけ
スタートしないだけ 禁断症状で
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC 吐きそうだ 好きだ

「攻撃も魔法も」届かないあなたは、支配領域(ZOC)にいないというのは冒頭で歌われていたが、ここで「永遠」が歌われる。
「永遠」は大きな断絶だ。絶対に何も届かない相手だということがわかる。
絶対に届かない相手ならば、「知らないみたいに」つまり「恋なんてなかったみたいに」するためには、そもそもゲームをしないのだと。
全く成就しない相手への恋をなかったことにするために、そもそも恋というゲームをはじめない、ということだろう。
しかし、ゲームをしないことで禁断症状が起きているではないか。なにかが「みえてくる」のだ。
大森さんと幻覚といえば戦国時代の合戦だが、おそらくここでは合戦ではないだろう。
(戦国時代といえば、最近観た「七人の侍」がとても面白かったのでみんな頑張って207分観よう)
繰り返される「ZOC ZOC」は「ゾクゾク」にも聞こえる。大森さんのやることにはいつもゾクゾクする。
「簡単」と啖呵を切ったのに、結局「吐きそうだ」「好きだ」なのだ。
「恋なんてなかったみたいに」するのは簡単ではないだろう、と私は思い知る。

ここから2番に入る。
1番までの歌詞だけでは、「届かない恋をなかったことにしたくとも、結局無理なのだ」という気持ちが歌われているのではと思う。
それだけでも充分に思い当たる人もいるだろうし、私だって私をちっとも好きになってくれなかった人の顔を思い出して「クソ野郎」と思ったりする。
しかし、私が思うには2番あっての1番なのだ。2番を読んでいく。

からだが透けていく 広告も 口コミも
傷つかない媒体に なればいっそラクだよね
信念曲げちゃう? 真心えぐられちゃう?
どっちでダメージを 受けるのか選びなさい

敢えて漢字が選ばれているが「媒体」とは「メディア」であり、「何かを伝えるもの」だ。
ここで私が想像するものはメディア(音楽サイトからSNSの書き込みまで)と対峙する「超歌手 大森靖子」が、何にも傷つかないただの音楽を届ける媒体になる様子だ。
あ、悲しくなってきた。やめよう。相手は人間だという認識の無い人は嫌いだ。
大森さんが歌っているからといって大森さんのことが歌われているとは限らないし、この話は汎用的だと思うので、何かを表現してそれを発表する人すべてに当てはまる事だとして。
信念を曲げれば口コミには傷つかないかもしれないし、信念を持ち続ければ真心はえぐられる。
どちらにせよ何かを表現する人は日々(おそらくは)必要のないダメージを受けているのかと想像する。
こんな文章を気取って綴っている私だって、きっとその担い手に加担したことがあるのだろう。

支配領域にいないあなたと分かり合えない
死なないみたいに 殴る 言葉は痛いっす

1番では、「支配領域」とは「攻撃も魔法も」「気持ちも」届く範囲であったが、ここで支配領域にいない人のことが歌われる。
支配領域にいないということは、こちらからの攻撃は届かないのだ。
にもかかわらず、相手からの攻撃は届いている。
ゲームの理屈で考えると、おそらく相手の方が攻撃力なりなんなりが高いのだ。
この「死なないみたいに殴る言葉」は、おそらく「広告」や「口コミ」であろう。
SNSに「ブズ」だの「メンヘラ」だの書いては「エゴサすんなよ」「有名税だろ」「スルースキル」と述べる人、相手が死なないと思っているんだろう。
自分の攻撃なんて大したことないと思っているんだろう。

全然
ゲームがやめられない ゲームがやめられない
主人公のぼくを監視するぼくがいる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC てめーだろ ぼくは

1番では恋をなかったことにすることを「ゲームはしないだけ」を歌っていたが、ここでは「ゲームがやめられない」と歌われる。
2番のAメロを鑑みるに、ここでの「やめられない」ことは自己を表現する活動を指していると考える。
私が文章をこねくり回すことも、「ゲームがやめられない」なのかも知れない。これで誰かに傷つけられたことは無いけど。運がいいな。
ここで「てめーだろ ぼくは」と言われて私が考えた「てめー」は「支配領域にいないあなた」だ。
安全圏から殴りつける相手、それは自分自身なのだと言われているようだ。
匿名のふりをして相手を傷つけている時、自分を匿名だと軽んじることで傷つけているのは自分だと。
私は性格が悪いのでよく人を傷つけていると思うが、せめて記名でやりたいと思う。なるべくは、やりたくない。

(あーーーーここのベース中尾憲太郎が弾いてるところ見たいなーーーーーーーーー)

本当に怖いのは 孤独じゃない 断絶
運命も主義も違うのはもうわかってる
それでも 話をしよう そのために立っている

ああ、これが「超歌手 大森靖子」ちゃんだなあと私はつくづく思う。
これ以上何か言うのは野暮だ。歌詞のレタリングでもしたい。

本質を変えること と この心のまま削られること
ぼくは後者を選びました
HPももうないし ずっと ドクロマークついてますけど
このままどこまでいけますか
このままで どこまでいきますか
このままどこまで

「信念曲げちゃう? 真心えぐられちゃう?」を言い換えた「本質を変えること と この心のまま削られること」。
何かを表現する人たちはこのような選択を強いられながら活動しているのかな、と想像するだけで、私はそれを享受する一人として真っ当な態度が取れているだろうかと考えてしまう。
せめて大森さんには真摯でありたいので、これを書いているのだ。
「このままどこまでいけますか」と「このままで どこまでいきますか」の主体は誰だろうか。
私は、「このままどこまでいけますか」は、「この心のまま削られ」ながら表現者がどこまで行くのか、に思える。
「いけますか」=「行くことが可能か」、HPはもうない状況で、どこまで到達することが出来るのか。
そして、「このままで どこまでいきますか」は、こちら側にも問われているように思う。
「お前は今のままで どこまで生きていくつもりなのか」と言われているような。
また、「一緒にどこまで行く?」と問われているようにも思う。
もちろん実際のところはわからない。が、私はそう思った。

人体実験やめられない 人生やめられない
ゲームをやめられない 痛いのにやめられない
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる

人体実験とは何だろう。
「実験室」「実験現場」から想像するに、大森さんの活動なのかもしれない。
そして、それは何かを表現する人の活動すべてを指しているようにも思う。
痛い、HPももうない、それでもやめられない何かを抱えた人の歌なのか。
そのうえで見えているものはなんなのだろう。私にはみえないのでわからない。

ゲームじゃないからさ ゲームじゃないからさ
スイープしちゃおうぜ
ZOC ZOC 生きてんの?
ZOC ZOC そのキャラで?
ZOC ZOC 引き摺り出せ おまえをぼくをあなたをてめーを
生きろ

結局、ゲームではないのだ。生きることは。
そんな人格(の振り)をして、果たして生きていると言えるのか?と煽られている。
自分を晒して、そのうえで生きろと鼓舞してこの曲は終わる。

私がこの曲に対して一番に思うことは、果たして自分は大森さんのZOCに入っているのだろうか?という事だ。
「ZOC」は「続」だろうと前述した。「続・実験室」には何度か足を運んだことがある。ありがとう地方開催。
しかし、「続」の範囲だからといって「ZOC」の範囲にたやすく入れるとは、私には思えないのだ。
大森さんと私の「運命も主義も違う」ものだ。
私にはゲームに負けている途中でリセットボタンを押すことはできない。
一人だけマリオカートでいつまでもゴールできず、後で泣くような人間だし。
そんな違いがあることはわかり切っているが、私と大森さんは分かり合えないのだろうか。
違う人間だ。分かり合えないのは当然かもしれない。
大森さんの創作物が好きだ。私の感受性を総動員して受け止めたいと思っている。
(そういえばこの間、「感受性強過ぎて生きづらそうですね」と言われたけど悪口だったのかな。)
こんなにグジグジ考えている私に、大森さんはとっくに答えを与えてくれている。

それでも 話をしよう そのために立っている

この文章はそのための一環だと私は思っている。大森さんと話がしたい。
そして、私の周りの誰かと話をすることも、諦めたくない。

「絶対彼女」と少年とギターと膝小僧

2017年6月に行われたプチツアー「COCOROM」の3日目、神戸にて。
大森さんの指揮に合わせた様々な属性の人々の合唱が定番である「絶対彼女」の中盤、いつも通りの「女子」や「おっさん」ののちに、「少年!」と大森さんが叫んだ。
それに応えて歌っていたのは、おそらく一人だった。
一人で頑張る少年、途中から畠山さんが、その少年の声に合わせてギターを重ねていた。

私は「これが、少年と、少年だ!」と思った。

そして思い出した。
「あ、私、少年になりたかったんだ。」

2006年度センター試験の現代文にて出題された「ぼくはかぐや姫」という小説をご存知だろうか。
私は現役受験生の時に本番で解いた。
(なので、大森さんも解いたのかもしれない。)
残念ながら現在は絶版されており、私は市立図書館で読んだ。
主人公は二人の女の子で、彼女たちは自分のことを「僕」と呼ぶ。
巷では「僕っ娘百合小説」なんて呼ばれているらしいが、なぜ彼女たちが自分を「僕」と呼ぶのか、その理由が膝を打つものだった。
前述の通り手元に本がないのでうろ覚えで大変申し訳ないが、要約すると以下のような理由だ。
「僕」ではなく「私」と自分を呼ぶことは、自分が女であることを認めたことになるが、自分はまだ与えられただけに過ぎない自分の性別を受け入れるのか決めかねる。
なので、暫定的に「自分は女であること」を保留する態度を示すために「僕」を遣うのだと、そのようなことが書いてあった。
それは「男になりたい」というわけではなく。
(もっと美しい文章で述べられていたので、気になる人は図書館か復刊ドットコムに行ってくれ)

私もかつて「僕っ娘」だった。
自分を「私」と呼ぶことが気持ちが悪くて、「僕」を選んだ。
それは、「男になりたい」わけでも「女がいや」なわけでもなく、与えられた性別が貼り付けられることがいやだったのだと、この本によって気付かされた。

「少年」になりたかった。
スカートなんて履いたことがなかった。
赤いランドセルが気持ち悪くて、無理を言って紺色を買ってもらった。
(20年以上前の田舎の話、随分と融通のきく親だったと思う。)

私にとって「少年」になることは、「男の子」になることではなく、「性別から自由になること」だったんだなと、畠山さんの膝小僧を見ながら思った。

そしてこの話はそのうち「GIRL'S GIRL」の話に続くかもしれないし、続かないかもしれない。
「女の子」という最高で最低のカルマ。

「やり尽くしたか」って西日が責めてきたことのある人へ

「やり尽くしたか」って西日が責めてくる

(歌詞が合っているのかまだわからない)
(早く知りたい)

死神

「西日が責めてくる」とはどういうことだろうか。
西日が差すのは夕方、今日一日がどんな日だったのか、大体決まっているだろう。
「今日やるべきことをお前は全部やり尽くしたと言えるのか」「全身全霊であったのか」。
「責めている」というからには、「やり尽くしたか」という問いに後ろめたさを覚えているのではと想像する。
つまり、なにも出来なかった一日のことを思う。

私の場合は、「お前は、朝起きて、満員電車に乗り、然るべきところで然るべきことを、全力を持って臨んだ上でそれなりの結果や成果を出したか?」と、問われている気持ちになる。
なぜそう思うのか、それは、私の頭が「こうあるべき」に満ちているからだ。
所謂「べき思考」、認知が歪んでいるのは誰かって?私だよ。

この曲を聴いて思い出した歌詞がある。

世界で一番しずかな部屋に灯ったいいとも

学校を休んで「笑っていいとも!」を見たことはあるだろうか。
私は、多分、ない。
学校を休むことは罪悪であり、起き上がれない程具合の悪い場合にのみ許可されるもので、つまりテレビなど見ずに寝ているべきだと思っていたからだ。認知が歪んでいる。
なので、この「いいとも」に私は覚えがないが、想像することは出来る。
朝起きれなくて、学校に行けなくて、布団に包まって。
お腹が空いて、布団から出て、なんとなく何かを食べながらつけたテレビから聞こえる、「いいともー!」。
そのあとまた布団に入って、起きたら夕方で。
閉め忘れたカーテンの隙間から西日が差してくる。
「ああ、今日も何にもしてないな、いいとも見ただけだったな」、そんな光景。

心当たりのある景色を歌詞にしてもらうことは、救いだ。

記憶の中の風景
誰かに上手く話せば救われる

大森靖子「非国民的ヒーロー feat.の子(神聖かまってちゃん)」Music clip - YouTube

西日に責められたと思ったことは今までなかった。
けれど、この歌詞を聴いて、なにも出来なかった一日を、「なにも出来なかった一日」だと認めざるを得ないあの夕方の時間が、私は辛かったんだと気がついた。
そしてそれは私だけではなく、誰かの記憶にも似たような景色があったのかと想像する。
その景色が歌詞になって歌われることで、私は私の辛さに気づくし、同時に歌われたことがとても嬉しく、辛さは少しだけ軽くなる。

この歌詞一行について、私が今思うのはこのくらいだ。

アルバム「クソカワPARTY」の発売が待ち遠しい。





ところで、トリプルファイヤーの「銀行に行った日」という歌をご存知だろうか。

トリプルファイヤー「SEXはダサい/銀行に行った日/カモン/野球選手になるために」@渋谷 TSUTAYA O-nest - YouTube

今日という一日の意味 もう担保されてる

どんな意図があるのかわからないけれど、私はこの曲を聴くと「今日という一日の意味」を「客観的に見て価値のある行動」で担保しなければ自分を認めることのできない自分を思い知らされる。

ナナちゃんにはナナちゃんのブルースがあるじゃないですか

「ナナちゃんにはナナちゃんのブルースがあるじゃないですか」、と、慣れない焼酎を飲んでデロデロになった私の口から溢れた。
責任持ってまともな文章にしようと思う。
焼酎はごま、紅乙女が好きです。

超歌手 大森靖子ちゃんのライブで、ピックや飲み物が置いてあるテーブルに鎮座しているクマのぬいぐるみ、もっと激しい夜に抱かれたい、それがナナちゃんだ。
twitterのフォロワーは優に5000人を超えており、大森さんのグッズでもお馴染みの存在だ。
サンリオやディスクユニオンとのコラボグッズも存在する。(マジで)(公式)(ビビった)

ここでナナちゃんのtwitterプロフィールを参照する。

再生運動家✴︎魔法使い✴︎今ヤれるアイドル✴︎終幕ヒロイン✴︎バンギャのナナちゃんです✴︎処女です✴︎クマです✴︎趣味はバンドメンバー全員とヤって内部紛争をおこしバンドを解体させること✴︎特技は魔法のステッキを使って処女膜を再生すること✴︎だいたい靖子ちゃんのライブにでてます✴︎メディアが好きです✴︎

ここで私が着目したいのは、「メディアが好きです」という一言だ。

大森さんとナナちゃんが出会ったのは2014年7月の某空港でのことだ。
その様子はメジャーデビューアルバム「洗脳」の[type★洗脳CD+DVD(モリステ特大号)]に付属のDVDに収録されている「スタッフクソキノコによる大森靖子メジャーデビュードキュメンタリー『一生無双モードって言ったじゃん!せいこはつらいよ'14』ver.」にて見ることが出来る。

大森さんのメジャーデビューが発表されたのが2014年3月、リリースは同年9月。
その時期を前後して、大森さんは怒涛のフェス出演とメディア露出を繰り広げていた。
LINEスタンプにもなった、炊飯器片手に炊きたてのご飯を配り歩いたというフジロックにて、ナナちゃんはデビューライブを迎える。
同時期から、テレビで大森さんを見る機会がぐんと増えた。

私はその頃の大森さんを知らないが、「顔を見られたくないから」という理由で、髪を伸ばし顔を覆うようにして俯き続け、ステージに立っていた時期があるという。
そんな人が、私や、これを読んでいるあなたに音楽を届けるため、真っ直ぐ一人一人の目を見て、ライブハウスだけでなくフェスのステージやメディアの中に出て来てくれたのだ。
人の目を見ること、私には怖い。
私はテレビに出たことがないのでどんな気持ちか全くわからないが、想像するととても怖い。
知らない人からSNSで「ブスじゃん」と言われたらどうしよう。泣くわ。単純に辛いとしか私には思えない。
テレビに出ている人はみんなそれを乗り越えているのだろうか。感謝と尊敬の念しか無い。

その大森さんに寄り添うのが、ナナちゃんなのだ。
不特定多数の視線に晒されること、生じるノイズ、無責任な攻撃とダメージ。
たくさんの人に音楽を届けること、大森さんの音楽じゃなくちゃダメな、まだ出会っていない人のところに手を伸ばすこと。

そのとき、ナナちゃんは「メディアが大好きでーす」「テレビや雑誌に出たいでーす」と言うのだ。


大森さんのライブに行くと、ナナちゃんによく似たぬいぐるみを抱きしめたお客さんをたくさん見ることができる。
私も、ライブに持ち出すことはないが、ナナちゃんと故郷を同じくするクマのぬいぐるみを所有している。
「ただいま」と声をかけると、「今日もよく頑張ったね」「●●ちゃんはなにも悪くないじゃん」と答えてくれる。幻聴かな。
たまに喧嘩をすることもあるが、決して私を否定することのないこのクマは、私の心から生まれたものだ。
私は私を否定したくないということなんだろうな、と理解している。
マックのポテトでしか埋まらない何かがあるのと同じく、ぬいぐるみに頼らないと乗り越えられない何かが世の中にはあるのだ。世知辛い
私の場合、余談。


ナナちゃんにはナナちゃんのブルースがある、とにかく、私はそう思っている。

ふつうのにっき

ふつうってなに、まともってなに、とは漫画「にいちゃん」の帯に書いてあった文言。

映画の話
なんども繰り返しているが、「君の名前で僕を呼んで」という映画がとても素晴らしかった。
字幕と吹き替え、両方で観た。こんなの初めて。
感想は散々書き綴ったが、改めて。
映画感想文「君の名前で僕を呼んで」 - 白昼夢、或いは全部勘違い

フルーツグラノーラの話
うまい

漫画の話
「違国日記」は2巻も最高にヤマシタトモコだった。

感想はそのうち綴りたい。


オフィスカジュアルの話
結局、プチプラでそれっぽい服を探し回るより、スーツ屋さんでスーツを買った方が手っ取り早いなあ、と気づいてしまった。
着まわしとかもうどうでもいい、私をそれっぽく見せてくれ。

大好きなバンドの話
10年前にわんわん泣きながら活動休止ライブを観たバンドが活動再開する、というニュースが飛び込んできた。

18歳の秋から冬、もうこれ以上生きていてもずっと悲しいままだからもういいかな、と思っていた。
思春期特有のあれなのかそれなのか、もうなんだっていいけど、その時に出会ったのがELLEGARDENだった。
「ライブに行くまで死ぬもんか」と思った。
大学受験を間近に控え、あらゆる娯楽を立つことが正義だと思ってテレビも漫画も遠ざけたけれど、WEB配信されていた細美さんのラジオだけはずっと聞いていた。
私と同い年の受験生が、「第一志望の大学に不合格でした」と投稿していた。
細美さんは、「今からお前には、その大学に行かなかったからこその人生が始まる。」と答えていた。
そのあと私も第一志望に落っこちたけれど、あの大学に行かなかったからこその人生を歩んでいるんだ、と、あれから12年も経ったけど、そう思っている。
メランコリックだったりセンチメンタルだったりな思い出は語ればキリがない。もうやめよう。
1番好きな曲はNo.13、フルアルバムで好きなのはPepperoni Quattro、総合的に好きな作品はMy Own Destruction、それだけでいいはずだ。

相変わらずELLEGARDNが好きなのだ。
今もアルバムを当たり前のように聴いている。
待っていた、という気持ちはあれど、好きだったなあというわけではなく、私は今も初めて出会った頃と変わらず彼らが好きなままだ。

唯一変わったことといえば、これで笑えたことだろうか。



「4人でELLEGARDNなんです!」などと言わなくなった私は大人になったなあ、と思った。

「僕らはまた今日を記憶に変えていける」と歌っていた人は、「全部は思い出せないけどさ」と歌うようになった。
私だって一生忘れないと思ったことすら全部は覚えてないんだろうな。