白昼夢、或いは全部勘違い

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15/2/22の日記

「タカハシヒョウリとカメダタク」のライブがとんでもなく素晴らしかったことについて、昔書いた日記が出てきたが今読んだら結構面白かったので再掲する。2015/2/22、梅田ハードレイン。そろそろ久しぶりに2人編成見たいな。

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(セットリストもあるよ)

ライブなんて見なければなんの意味もないけれど、当日足を運んでくださった50人の記憶から消えてしまってお仕舞いにするには余りに勿体無いので伝聞するために私の感想を記しておく。

前提の話。
私はオワリカラというサイケデリック・ロック・バンド(三鷹の王子様による自称)がとても好きだ。

美学の人であるボーカルギター タカハシさんの何が好きかといえば、圧倒的に歌詞だ。
ナルシスティックな声質も硬質なリフも歯ギター(飽きた)もジャンプ(年々低くなっている)も小さい頭も長い手足も女の子みたいな顔もおしゃれ天然パーマも錠前を作っていそうな貴族っぽさもニの次、歌詞が一番好きだ。
なので、タカハシさんのソロがとても好きだ。
ソロのために演奏される曲たちの歌詞は単純ではない言葉が並べられ、バンドよりも幾分か丁寧な歌にのせて紡がれる。
サイハテソングなんて、バンドよりソロの方がいいのではなかろうかと密かに思っている。
私は根本的に暗い人間なので「7月のブルー」や「三途の星で甘いパンを買う」のような曲が好きだが、ああ、こんなこともできる人なのだなぁと感嘆するのは「8月のブルー」だ。トーキングブルースというのだろうか?畳み掛ける言葉のリズムがとても気持ちが良い曲だ。
(あんなに夏が似合わなさそうな様子なのにこんなに夏の曲が多いのは何故なんだ)
(人名)from(バンド名)、のような弾き語りイベントは得てしてクソだ、と言われがちだし、そのようなクソイベントに行ったことがないわけではない。
けれど「タカハシヒョウリ」という弾き語りはロックバンド オワリカラのボーカルであるにしろそれとは独立した一人のアーティストであり、バンドとは全く違う面を見ることができるので私は弾き語りのライブにも足しげく通っている。

キーボード。
本当に同じ人が出しているのだろうか?と思うほどいろんな音が出てくる。
本当に同じ人なんだろうか?と思うほど時と場合によって違う音が出てくる。
(2014年10月の東京キネマ倶楽部での音が記憶に新しい。あんなに白っぽい音を出しているのは初めて聴いた。)
同じバンド同じ曲でも毎回全く違うようにしか聴こえない音を出している彼が、「いつもと同じ人」と「2人編成」なら一体どんな音を出してくれるのか、私はそれが聴きたくてたまらなかった。

なぜ2人編成なのかというと、かつて、タカハシヒョウリとカメダタクという編成でのライブがあったらしい。
私は三朝の潰れたストリップ小屋に行っていたので見ていない。それ以来特にライブも無いようだった。
見たいけどやらないなら呼べばいいと思った。
どんな楽器で何をするのかは私も知らなかった。知らないほうが楽しそうだったからだ。
あの人たちは何をするの?と知人に尋ねられた際は「知らんけど、white stripesDeath From Above 1979コピーバンドだと思う」と答えていた。

当日。
梅田ハードレインでなんとか快適に移動できパーソナルスペースが確保できるギリギリの人口密度で、30分ほどタカハシヒョウリによるソロが演奏される。

サイハテソング
三途の星で甘いパンを買う(「パンが甘くておいしい」という曲らしいです。)
さいわい(新曲)(「三途の星~」と対になる曲とのこと。)
まんだらけで6500円するサイボーグ009のコスチュームを購入した話)
臨時収入(「一番好きなもの、臨時収入の歌」とのことだったが、好きなものは謎と蕎麦と誠意じゃなかったのか)
しずく
ぼくだけのこのきもち

新曲「臨時収入」がとてもよかった。「やってきました臨時収入」「高いギターを買って美味いものを食べる」という歌詞をあんなにかっこよく時代劇のように鳴らして、一体何がしたいんだ。

それを経て、「オワリカラのキーボーディスト」としてカメダさんが呼ばれる。

てっきり、Macでも持ち込んでバッキバキでピッカピカのピッコピコした前衛的な音でも鳴らすのかと思っていたが、いざ持ち込まれたのは普段の機材ではなく、シンセサイザーというよりは電子ピアノのような、ちょっと高級そうなキーボードだった。
機材のことは全くわからないが、ダイナミクスの掛け方やタッチの違いが、いつものシンセサイザーよりも人の動きを色濃く反映する楽器だと思った。
それがとてもよかったので、どうせならハードレインの片隅にあるあの狂ったアップライトピアノを調律してもらえばよかったと心底後悔した。
しかし、ピアノというにはいささかきれいで澄んだ音であり(私の知っているピアノはもっと業の深い音がする)、ピアノには絶対にかからないエフェクトがごくまれに入る不思議な音がして、彼はあくまでも「ピアニスト」でなく「キーボーディスト」なのだ、これでよかったのだと思った。

ベイビーグッドラック
(「ロックンロールは男の甘え」は小森さんの代名詞であるという話)
マーキュリー
はなとゆめ
(アコースティックライブなんかやりたくないという話)
light my tokyo
Q&A

ベイビーグッドラックをどのくらい久しぶりに聞いたのか思いだせない。いわく2年ぶりに演奏されるこの曲について、タカハシさんは「いい曲過ぎてびっくりした」と言っていた。(ならもっと演奏してくれよ。)
キーボードはもとより音域の広い楽器であるが、バンドにおいてはそもそもの低音域を担当するベースがいる。
今回はオブリガートからバッキングから低音域と幅広い役割を入れ替わり立ち代わり演奏しており、その時点で私はとても満足していた。
しかし何よりベイビーグッドラックの歌詞が素晴らしくよい。ので、もっと演奏されるべきである。

マーキュリーは、歌とキーボードのメロディの掛け合いが会話のようで軽快であった。テンポの揺らぎがバンドよりも顕著であるが、単純に演奏者が少ないためか追い終われ揃えてくる技巧は(特段親しそうには見えないが)さすが長年一緒にバンドをやっている人たちだなぁといった様子であった。
ギターがバッキングになり、キーボードが遊び歌が乗る様子は奥行きがあり、2人で演奏しているとは思えないめまぐるしい展開だった。

「はなとゆめ(場末Ver.)」。
タカハシさんがソロ活動を活発にしてCDを出した後、これを「オワリカラの新曲」として演奏したとき少し驚いた。
でもこれがあえてバンドサウンドで鳴らされることで、オワリカラってこんなものも見せてくれるんだ!とますますオワリカラが好きになったことをよく覚えている。
「はなとゆめ」はオワリカラ4枚目のアルバム「サイハテソングス」にバンドバージョンが収録されており、「はなとゆめ(場末Ver.)」は特定店舗の購入特典としてついてきたものだ。
私はこの音源がオワリカラのなかで指折り好きであり、それが鳴らされていることがあまり信じられない思いで見ていた。
必要最小限の音しかなっていない機能美のようなものを覚えるのに、音の重なりは幾重にも聴こえ、ああ、もう、私の陳腐な言葉で感想を述べることも憚られる。
プリセットピアノのようなキーボードの音とアコースティックギターの音と人の声、だけなのに、重厚で豪華に聴こえるのはなぜなのか。歌詞が紡がれるときもキーボードは中音域から高音域を自在に行き来していき、それぞれの音は依存することなく独立していて相互の存在を無視しているかのようなのに、でもここにしかないだろうというおさまりを見せている、聴かせている?
これがもう人前で演奏されないなどと言っていたことにもはや強い怒りを覚える。また聴きたい。

「light my tokyo」は3rdアルバム「Q&A」リリースツアーファイナル「夜戦ちゃん渋谷へ行く」で披露されたが、そのライブがDVDになっているにも関わらず収録はされていない。
「夜戦ちゃん渋谷へ行く」で演奏された中で一番よかったのは正直「light my tokyo」だと思っていたのでとても残念だった上に、それ以来演奏されていた記憶はない、いや、実験惑星か弾き語りで聴いたような気もする。
音源自体がアコースティックであり、ロックバンドであるという美学の強いタカハシさんはアコースティックインストアライブをするくらいならライブハウスでアウトストアをやるような人だから、この曲が演奏されることはしばらくないだろう。もったいない。
「はなとゆめ」がやや強く歌われたのに対して、「light my tokyo」は歌詞と相まってか大切に歌われているように聴こえた。それに対してキーボードはその声を包むかのように鳴っていた、ような気がする。

草原っぽいギターとしっかりメロディを取るキーボードのイントロがさわやか(!)な「Q&A」。
こんなに明るい曲だったかと思うほど、湿っぽさもなく力強さや疾走感という、おおよそ、例えば「三途の星~」などとはかけ離れた要素に満ちていた。目新しさが先立つが、この方向もバンドでもたまに聴いてみたいと思った、たまにでいい。

全体として、オワリカラの曲を演奏してはいるのだけどこれは本当にあの曲で、これは本当に普段あれを演奏している人なのか?という驚きが大きかった、嬉しい驚きであった。
オワリカラはもともと、あれも!これも!と様々な切り口の曲を投げかけてきてくれる面白いバンドだと私は思っているし、キーボードの音にいたってはすべてのライブで音色もフレーズもなにもかも違う曲のようで私は一向に飽きないが、まだこんな引き出しを持っていたのかと思った。
また、2人になることで身軽になり、てっきりストレートなわかりやすいカッコよさを捨てて難解な方向に行くのだと思っていた。
その予想は大きく外れ、ただ単純な音と音色だけで曲を多彩に奥深く見せてくれた。
また、明るい方向にもここまで振り切れてきたことが印象的であった。
バンドは生き物だとよく言うが、彼らはそれぞれが独立した1つの音がたまたま2つ並んで鳴らされているかのようだった。
そしてそれが不思議とあるべきところに収まっているかのようだった。
無駄な感傷やなれ合いがないからそれがかえってただきれいな音楽を構成するという(ライブハウスでバンドマンが鳴らすには)稀有なものを見れたと思った。

「このイベントがなければ演奏しなかった」とライブ中に何度か述べられていた。それはどう考えてももったいない。
もちろんバンドありきだと思う、けれど私はまたこれがどうしても聴きたい。