白昼夢、或いは全部勘違い

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客体化される自分を象徴する「女の子だけもらえるポケットティッシュ」

女の子だけもらえるポケットティッシュ
私のおまもり 汚れてもいいの

「新宿」で「女の子だけもらえるポケットティッシュ」といえば、
「女性性」を売り物にした産業へ勧誘するティッシュだろう。
ガールズバーやチャットレディやフロアレディの勧誘のポケットティッシュ、
新宿ほどギラついていない家の近くの少しだけ賑やかな街で、私のようなボンヤリした人間が貰うこともある代物だ。

考えすぎだと言われればそれまでだけれども、私はあのポケットティッシュをもらうことが大変に嫌いだ。
例えば私がどう見ても老婆だったら、例えば私がどう見ても男子大学生だったら、例えば私がどう見ても小学生だったら、
おそらく、あのティッシュを渡されることは無いだろう。

それが示唆することは何か。
私は、ティッシュを渡す人から、「こいつはこの仕事をするだけの、女としての価値があるのか」と品定めされ、その結果渡すに至ったのだろう。
「渡されたんならいいじゃん」「そんなの今(若いうち)だけだよ」と思った人は少し考えてほしい。
自分がただ街を歩いているだけで、突然「こいつ、営業/経理/接客/(その他)できそうかな」と品定めされ、「できそうじゃん」と判断された時だけ特定のものが渡される状況を。
相当に気分の悪い状況だと思った人はいるだろうか。
自分が評価を乞うた訳でもないのに、「できそうかできなさそうか」勝手に判断されること、不愉快だとは思わないか。
(こういうことをいちいち不愉快だと思うので自分が生きづらいということは自覚している。)
(生きづらい人、こういうことは考えない方がいいしこんなものを読んでいないで今すぐお風呂に入ったほうがいい。)

「女の子だけもらえるポケットティッシュ」はさらに、「女としての価値があるか」という、
私にとっては「仕事が出来る」以上に品定めされること自体が屈辱的な判断にさらされる。
選ばれること選ばれないことが苛立たしいのではなく、「選ぶ」の土俵に乗せられることがすでに不愉快なのだ。
災難なのだ。自意識過剰と呼べばよいが、できれば迂回したいくらいの災難だ。
そもそも、ティシュに限らず知らない人から何かを差し出されることも、それを受け取ることも、断ることも、
全部が全部ストレスなので可能な限り遭遇したくない。
アルバイトでチラシを渡す方の立場になったことはあるので、渡している方が何も考えていないことは知っている。

私だって、「今日ちょっとくしゃみでるからティッシュもらえてラッキー」くらい無自覚になりたい。
街で配っているティッシュは臭いが嫌いだし固くて肌ざわりが嫌いだから、持ち歩いている保湿ティッシュでしか鼻はかまない。花粉症だし。

「男性のまなざし」という理屈の話をする。
例によって孫引きなのであまり真に受けないでほしい。
「男性のまなざし」とは、異性愛者の男性が女性を性的な対象としてみるまなざしのことを指す。
コンビニエンスストアの雑誌コーナーを眺めてみても、「男性のまなざし」に根差すものは存在しても、
その逆に基づくものは見受けられないように思う。
「愛され」「モテ」、どちらも受動的なのだ。
これにより、「異性愛的な関係において、男性は主体であり、女性は客体である」ことが読み取れる。
十把一絡げに「男性」とまとめるのはみっともないと思うが、私がかかわってきた男性の多くや、
私が目にしてきたメディアの範囲では、私はこの「主体・客体」の関係性が実在するものだと考えている。

この議論を私が目にしたときに合わせて語られていたテーマの一つに「男性は自らを客体化されることに慣れていない」というものがあった。
同性愛者あるいは両性愛者の男性を目の前にして、「俺のこと好きにならないでね」と返答する男性を想像してほしい。いないこともなさそうだ。
もし私が「私は異性愛者です」と伝えたときに、「俺こと好きにならないでね」と言われたら、「そんなことあるわけないじゃん、バカかよ」と思うが、それと同じくらい滑稽な話をしているのだ。
そしてそれは、客体になること、まなざされる対象になることへの恐れから来ているのだと聞いたとき、私は非常に納得した。

ポケットティッシュの話に戻るが、「価値があるか判断されること」は、まさに客体化される瞬間であり、
それが私にとっては、たまらなく不愉快だ

私のおまもり お花 マーガレット

木村カエラ「リルラリルハ」の歌詞だ。

主体的に客体化される人や、主体的に客体化から抜け出そうとする人が好きだ。
なので、暇な女子大生さんは理路整然としていてとても好きだ。

今でこそきゃりーぱみゅぱみゅやペコちゃんのように、「男性からまなざされること」を意図せず(していないのかどうか知らないけど)、
好きなものを好きなようにする人を見かけるけれども、今考えると木村カエラにその片鱗をみる。だって刈り上げだったし。
「男性からまなざされること」を意図しない、の代表格といえば「ヤマンバギャル」なのだろうか。
手元にあったストリートファッションに関する入門的な論文を読んでみたが、参考資料として掲載されている当時のファッション誌のストリートスナップに、
「プーさん大好きだからプーGOODSは大事!」という煽り文が付いていた。単純明快な事実だ。気持ちが良い。

話を戻すが、「お花 マーガレット」の対になるものが「女の子だけもらえるポケットティッシュ」なのが興味深い。
それがおまもりになりえるかというと私には全くならない。
マーガレットの方がなじみ深い。好きな花だ。持ち歩けないけれど。
けれど、あのティッシュをお守りとする人は、きっとどこかにいるのだろう。
「地元が田舎過ぎてこんなティッシュ配ってないから、実物を見ると東京に来たんだなって感じする」、
「ティシュなんてもらえてればなんでもいいけど、ピンクでかわいいから好き」、
「いきなり鼻血が出た時、大好きな友達にもらった」、
理由なんてきっと何でもよくて、詮索するだけ野暮なのだけれど、想像することは楽しい。

ともかく、「女の子だけもらえるポケットティッシュ」という言葉は、「客体化される女性」をあらわした鋭い歌詞であり、
私は「なにこれすごい」と思ったことを、書き留めておきたかったのだ。