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白昼夢、或いは全部勘違い

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脊髄反射の全肯定は無視と同じだけれど、南くんについて

中学生の時。

同じクラスの男の子と、何の気なしに好きなミュージシャンの話をしていた。
当時から盲目拗らせ神格化、彼らの良さをわかっているのは私だけ、簡単に言うと同担拒否の片鱗が見える女子中学生だった私は、
「あの人たちの曲は本当に全部サイコーだ」とかなんとか、言った。
すると彼は「全部が全部いいなんてことはない。その人たちのことも、俺は前に出たあの曲は好きだけどこのあいだの新曲はそんなにいいと思わない。でも俺はあの人たちが好きだ」と言った。
私は目から鱗が落ちる思いがしたし、とても恥ずかしかった。
なぜなら、その新曲は私もイマイチだと思っていたが、好きになれない自分が駄目なのだと、そんなのファンではないと思っていたからだ。
彼の方がよっぽど向き合っていると思った。
真摯だ。

もう15年以上昔の話だが、ゆめゆめ忘れないように努めている。

何でもかんでも噛み砕かずに「好き!好き!」と述べる態度は不誠実ではないかと、本当に好きなのかと、いつも疑っている。
好きになればなるほど、即、「私はこの人が好きだ」と思ってしまう。
本当に?「私はこの人が昨日好きだったから、今日も好きに違いない」になっていない?
今、これが、好きか嫌いか。
他の人が何かとどのように向き合っているかは関係ないし興味もないし知りたくもないが、私はそういう態度でいたいと思っている。
正しいとか正しくないとかの話でなくて、私がそうありたいと思うだけのこと。
私の手の中にある「好き」はいつだって疑わしい。
これは本当に「好き」なのか。
「これを好きな私が好き」ではないか、「私はこれが好きに違いない」ではないか。
自分のことなんて何にも信用していない。

ここまでの話は、「脊髄反射の全肯定は無視と同じ」に発展する。
「提示されたもの」即「好き」、何でもかんでも全部好き。
ここでいう「無視」は向き合っていないこと、吟味していないことを指す。
なにを持って「向き合っている」と評するのかは知らない。わからない。
私が許可を下すものでもないだろう、始めから終わりまで自己満足でしかない。

が、それと全く違う、強くて切実で得難くて真摯な全肯定の話をする。

勇利くんに黒歴史なんか一個もなかです
ずっと憧れて追いかけてきたおいのことば、馬鹿にせんでください

私の夫はもう5周ほど「ユーリ!!! on ICE」を見ている。

推しはユリオ、この話は嘘松ではない。
なので私も多分2周ほど見た。ついているからだ。
同じアニメを何度もぐるぐる見るのは初めてだ。
そんなに今までアニメっ子だったわけでもない夫になにがあったのか。ロシアの妖精よ、教えてくれ。

主人公である勝生勇利(23歳)、グランプリファイナルに出場しているほどの選手だというのにメンタル弱めの彼に憧れてやまない年下の選手が、南健次郎(17歳)だ。
博多スケートクラブ所属、とても方言、加点要素だ。
けども勇利どころかヴィクトルより年上で博多より田舎育ちの私の周りにも、一人称が「おい」なのは親戚のおじさんくらいだったぞ。

勇利の過去のプログラムをリスペクトしたという衣装を勇利に見せたところ、「僕の黒歴史衣装」と言われて、先程の台詞を述べる。

この、「黒歴史なんていっこもなか」という全肯定!
ここでの「黒歴史」は「なかったことにしたい恥ずかしい過去」を指しているのだとして、 そんなものは勇利にひとつもない、と啖呵を切る。

南くんは全日本選手に出場するような選手だ。
私はフィギュアスケートに全く詳しくないので、すごい選手なんだろうなぁ、くらいの想像しかできない。
同じく、勇利がどのくらいすごい選手なのか、私にはさっぱりわからない。
4回転フリップって…何…?とググりながらアニメを見た。よくわからなかった。

それとは比較にもならないが、南くんから見た勇利は、それはもう、すごいのだろう。
同じ世界に立っている人でないとわからないこと、例えば私はアニメをぼんやり見ているだけなので、選手によってジャンプの高さや幅に違いがあることなんて全くわからなかった。
聞きかじったところによると、JJのジャンプが飛び抜けて高いのだそうだ。

勇利と南くんは出身地もおそらく近く、南くんは幼い頃から大会などで勇利の演技を見て来たのだろうと想像する。
そんな身近に世界レベルの選手がいること、同じく選手であるから見えてくるであろう勇利の凄さ。
そんな南くんの口から飛び出す「勇利くんに黒歴史なんかいっこもなか」という、勇利の重ねて来た何もかもを否定しない言葉は、例えば「すごか選手っちゃろ?頑張ってね」などとは段違いの、純度が高くて核心めいた強さを持っているように私には聞こえた。

そして、勇利が勇利を否定することは、勇利を馬鹿にするのではなく、南くんを馬鹿にすることになる、という理屈。
「ずっと憧れて追いかけてきたおいのことば、馬鹿にせんでください」と南くんは言う。
「僕の好きな人を否定しないでくれ」でも「自分で自分のことを否定しないでくれ」でもない。
勇利が勇利を否定するということは、すなわち勇利に憧れ勇利を追いかけて来た南くんのこれまでを馬鹿にするのと同じだと主張する。

「憧れの選手」として南くんが勇利に背負わせたものの大きさに想いを馳せる。
勇利は勇利なのに、南くんが勝手に背負わせたといえばそれまでかもしれない。
けれど、それは外野からの身勝手な押し付けではなく、勇利に憧れ追いかけて、そして同じ舞台(公式試合)に立っているのだ。

私が忌み嫌う私の全肯定とは全くちがう、この南くんの見せる勇利への全肯定は、得難い。
それこそ「ずっと憧れて追いかけて」、そして結果を出した南くんにしか出来ないことだ。

素晴らしい演技を見て賞賛し、勇利からの反応をモチベーションとする南くん。
南くんがこれから大きな怪我などすることなく、どんどんとすごい選手になってくれたらいいな…と思う。
風邪とか引かないでほしい。

ちなみに私がユーリで一番好きなのはカザフの英雄ことオタベックアルティンです。