白昼夢、或いは全部勘違い

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大森靖子ちゃんが、「あゆが好き」と言うことについて

あゆ、浜崎あゆみ
歌手というかアーティストというか、むしろ「歌姫」だ。

「あゆが好き」と大森さんが言っているのを初めて聞いたとき、多分2013年、3つくらいの意味で驚いた。

ひとつめは、インディーズのミュージシャン(当時)が、こんなにメジャーなJ-POPアーティストを好きだと言っていることへの驚き。
(今は「avexの超歌手」だ)

あの頃と、言ってもほんの数年前だが、大森さんは地下のライブハウスで夜な夜な弾き語り、レーベルも自主で、物販にはプレスのCDと家で焼いたと思しきCD-Rが並んでいた。

私の知っているごく狭い範囲での話だが、2000年代後半から大森さんに出会うまでの間で私が見聞きしていた「インディーズのミュージシャン」は、インタビューやブログなどで「洋楽と、マイナーな日本の古いバンド」以外を好きだとはあまり公言していなかった。
最近は「ナンバーガールは好きだけど、ちょっとディストーション踏んだらすぐ『ポストナンバガ』って言われる」、
「ちょっとエモい感じの女性シンガーは全員『劣化版椎名林檎』って言われる」と、大森さんやそれ以外のミュージシャンから聞くようになったし、「GLAYが好き」「ラルクが好き」なんて公言することも珍しくないが、少なくとも2006年ごろでは考えられなかった。
(なぜ2006年かというと、私は2006年に大学の軽音部で「ELLEGARDENが大好きです!」と言って馬鹿にされたのを根に持っているからだ)
(だから、同級生が小さい声で、「俺、ポルノグラフィティハルイチが好きでギター始めたんだ」と言ってくれたことを私はずっと覚えている)

その中で、一足飛ばして、「あゆ」!
あゆがいいとか悪いとかではなくて、「ミュージシャンが『あゆが好き』と言うこと」そのものが、私の知っているクソ狭い世界の中ではありえないことだった。
びっくりした。モーニング娘。が好きだと言っていたことよりもずっとびっくりした。

もうひとつの驚きは、あゆが、「好きだった」ではなく、「好きだ」と言っていること。

大森さん(と、私)が中学生だった2000年初頭、あゆは今この2017年の誰と比較していいのかわからないほど売れまくっていた。
テレビにはいつもあゆが出ており、私はあゆのCDを1枚も持っていなかったがカラオケで歌える曲がいくつかある。
そのくらい、街にはあゆの音楽が溢れていた。

しかしその後、高校生になった頃には、なんとなく「あゆダサいじゃん」という空気が流れていた。
「かけがえのないマグマ」にも似たようなことが書いてあったので、おそらく全国的な話なのだろう。

「ずっと聴けるアーティスト」という話を聞いたことがある。
学生の頃聴いていて、大人になっても聴ける(聴いていると公言できる)ものだ。
例としてあげられていたのはミスチルで、歌っていることが「学生の聴ける歌詞」から「大人の聴ける歌詞」にシフトしていくことで、「大人が聴いても恥ずかしくない」J-POPになる、とのことだった。
ミスチルくらいのキャリアにその論法が通じるのか疑問だが、それは置いておく)
つまり、「一緒に変わっていくこと」が、ずっと聴けるアーティストの条件だとして、あゆはいつまでもあゆだ。
例えば中学生の頃好んで着ていた服を着なくなるように、「あゆ、中学生の時ちょー好きだった〜」と聞くことはあるものの、「あゆ、ダサい」なる空気を感じていた。
みんなBETTY'S BLUEのショップバックのことあんなに大事にしてたじゃん、急に「子どもっぽい」って何、どうしたの、そんな感じ。
なお、先ほど調べていたらBETTY'S BLUEは事実上なくなっていたので、一つも持っていなかったにも関わらず動揺している。
私は特別好きだった訳でもないので、「みんなあんなに好きだったのにな〜」くらいに思っていたが、
「あゆのCDが売れなくて返品されたけど、返品だと売り上げが減るから、avexは売れ残りを四国の山奥に埋めてるらしい」という噂を聞いた時は「あゆ、大丈夫かな…」と真面目に心配した。真面目な馬鹿だ。

そして、「今、あゆが好き」と公言する高校生は、私の周りには1人しかいなかった。
高校のクラスメイトだったあの子は、クラスの何人かで行ったカラオケで「あゆの新曲」を歌ってくれた。
当時藤くんに倒錯していた私は「あゆの新曲なのに1回も聴いたことないぞ…」というのに結構驚きつつ、「この子は本当にあゆが好きなんだなあ」と思った。
カラオケでは中島美嘉倖田來未が歌われていた流れで入れられたあゆ、「M」でも「boys & girls」でもなくその時の新曲(タイトルは忘れた)、「これは、あゆのこういう気持ちが歌われてるんだよ」と解説してもらったことを覚えている。
私とあゆの、一番個人的な思い出だ。

それらの思い出や体験を踏まえ、私と同年代である大森さんが「あゆが好きだった」ではなく「あゆが好き」と言ったとき、私は驚くと同時に「この人は本当にあゆが好きなんだなあ」と思った。

あとは、その頃聴いていた「魔法が使えないなら死にたい」とあゆのイメージが結びつかなくてびっくりした。
最近はカラオケであゆのライブ映像が流れるものを入れ、「あゆちょうすげえ」という気持ちを新たにしているので、そんなにびっくりしていない。

あゆはカリスマ。
あゆは詩人。
あゆはファッションリーダー。
(これは歌番組か何かで流行ったあゆの紹介だが、
「あゆはカリスマ」が「ゆずのオールナイトニッポンスーパー」でネタにされていたことを覚えている人はなんらかの手段で私とハイタッチしてほしい)
背負わせているものがいささか多すぎやしないか。でも、その通りなんだろうな。

私が思春期にあゆを聴かなかったのは、あゆを知る権利がなかったからだ。
あゆは、スクールカーストの高い女の子の持ち物で、例えばBETTY'S BLUEのショップバックを体操服入れにしてもいいのはあの子達だけだったのと同じように、あゆを好きでもいいのはあの子達だった。
「あいつ3軍なのにBETTY'S BLUEの袋持ってんのウケる」って陰口を言われる世界の話。
家でこっそり聴いていた子はいたのかも知れないが、少なくとも私は「あゆは私の持ち物ではない」と思っていた。
スクールカーストが歪なのか、私の認知が歪んでいるのか、おそらくその両方だろう。

そんな私のようにならないで、今中学生とか高校生の子が大森さんを好きだと言っていてくれたらいいなと思うし、大森さんのことだからあんまり心配していない。