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白昼夢、或いは全部勘違い

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大森靖子「draw (A) drow」によせて(歌詞を好きに壊す試み)


大森靖子「draw (A) drow」(Music Video / 千葉雄大Ver.)

この、難解と呼ばれる歌詞を考える。
主たる正解は以下のインタビューを参照したらよいが、私は私で好きに壊して遊ぼうと思う。
kerastyle.jp

友人から「短めでよろしく」と言われたが、いつも以上に気取って書く。天邪鬼だから。
わかっているとは思うがこれは私が勝手にこねくりまわした考えなので、正解でも何でもない。
お遊び気分で9000字弱を読んでほしい。頑張れ。

まずはタイトル。

draw:描写する。ドローイング。
drow:時雨(晩秋に降る小雨)。

アナグラム
draw→ward 区画、病棟、独房
drow→word 言葉

回文
word (A) ward
award:賞

「draw (A) drow」、単純に考えれば「時雨を描く」、詳しくは前述のインタビュー。
区画に病棟、言葉が閉じ込められた独房はどこだろう。
私はよく、発言の一部が切り取られることにたまらない不快感を覚えるが、一人歩きさせられた言葉たちは前後の文脈を失い、背景を失い、それはまるで独房のようではないか!
いや、独房は人目に晒されないであろう。どちらかというと張見だろうか。
言葉の賞、炎上した言葉がランクインしそうだ。

誰かの美しい閃きが作った世界は
誰かを失って宿主不明の

「誰かの美しい閃き」が新しい思想だとしたら、それは、ここでは、まあ、アレだ。
きっと美しかったこともあるのでしょう。私だって恩恵がないと言えば嘘だし、私の生き様だってその観点から褒められてもいいところがあるはずだ。
「宿主」とはその世界が作られたことによって救われる人々、或いはその世界が救おうと標榜していた人々だとして、新しい発明は誰かを救ってくれればと願うが、年末にインターネットで少しだけ話題になっていたが結局誰のためのなんだったのか、今では他者を傷つけるだけなのか、だからネオだなんて云々、ここから先は怖いので不勉強だ。
以下、アレを「ネオでないもの」と呼ぶ。
アレが指すものは本文中の6文字なので各自回答のこと。

平和 フェミニズム 少女性神話崩壊

読み方で言葉遊びをしよう。
少女性 神話崩壊。
しょうじょせいしんわほうかい
少女、精神は崩壊。
ネオでないものが私の大好きなあの人したことを思う、しばきたい。
ところで、神話は崩壊するだろうか。
始祖神話なんて簡単に崩壊しないだろうから、崩壊する神話と言われて思い出すのは「三歳児神話」だ。
一昔前まで当然とされていたのに今では「そんなアホな」と教科書に書かれているあの神話。
簡単に崇められて簡単に崩される、本来の「神話」以外でそう呼ばれるもの以外にはそのような印象を持っている。

では、少女性の神話とはなんだろうか。2つ考えた。
1つは「全ての女の子を肯定する」「少女性の守護神」という大森靖子のパブリックイメージだ。
言葉の魔術師、全ての女の子を肯定する人、少女性の守護神、大地の女神、人、とスラスラ変わるそのイメージ。
ただ、女神になるその直前、「ゆめかわいい」という概念が100均の商品(最先端の大衆文化、の少し後)に登場する少し前、膨らみすぎた「少女」の概念は些か軽く、それは私の思う大森さんの守備範囲ではないなあと思っていた。
守護神にされて、女神になって、入れ替わるパブリックイメージに神話の崩壊を重ねる。
もう1つ、少女性というよりむしろ処女性、アイドルは絶対に処女!という神話の崩壊を思う。
例えば「エッチだってしてのにふざけんな」からのセンター、例えば「まくらぽん」、処女厨キンモー★滅べ★というカジュアルな暴言ではなく、「パラダイムシフトかな…」と思っている。

正しさ 血縁 普通
幻虫が僕を壊してく

「正しさ 血縁 普通」、これが並ぶだけで息苦しい。そうでない人はとても健全に育った人か、あるいはモラルハラスメントに片足を突っ込んでいる恐れがあるのでご一考願いたい。
「幻虫」は存在しない単語とのことだが、虫の幻覚は薬物乱用防止の全校集会でもよく紹介されてたし、幻覚のなかではメジャーな印象がある。幻覚にメジャーもクソもあるのか。
この「血縁」は血縁によるなにかしらの矯正、家族仲良くとか家長がどうのとかそういうことだろう。「家族」と言い換えてもいい。
「正しさ 血縁 普通」が「幻虫」だとしたら。
結局のところ、「正しさ 血縁 普通」は存在するのだろうか。私にはわからないが、少なくとも誰かにとっての正しさ 血縁 普通」が、私にとって絶対ではないし、逆も然りと思っている。
そういう「幻虫」がしんどい人にお勧めのコラム。好き。

http://www.ism.life/contents/139

『愛情深く心から理解しあえる家族は確かに素晴らしいけど、その理想は誰かが傷つくことで体現できるものではないわ。』!

敵のいない怒りが才能を帯びて震える
それさえなければ愛されたのにね

先ほどは、「宿主不明」、主体性の喪失や主人公の欠如について考えたが、ここでは、「敵」の不在について歌われている。
私は好んで「仮想敵」という言葉を遣うが、これば「お前の怒りは本当に対象が存在するものなのか、被害妄想ではないか」という自分自身への揶揄である。
しかしここで「敵のいない怒り」に震えている主体は才能を帯びている。つまり、超歌手大森靖子だろうと仮定する。
「愛されたのにね」から、「流星ヘブン」の「この世界に愛されたい」を思い出す。
怒りさえなければ、その才能をもってして十分に評価され、今よりももっと拡散されていたのかな。
この文章は徹頭徹尾私の妄想でしかないが、万が一大森さんがそんなことを考えているのだとしたら、私は私の周りにいる、大森靖子を必要としている誰かに大森靖子を届けることをやめないでいたい。
最近、もうあまり会わない人から「ラストアイドルの審査員が大森さんの回になると●●さん(私)のことを思い出す」と言われた。
その調子で@YouTubeさん以外で音楽も聴いてくれたら嬉しい。

上昇気流で低気圧が発生し
道端 垂れ流す 脳汁は感染し

低気圧とメランコリックの関係を強く感じている人は少なからずやと思うが、上昇気流がそのままさに「上昇」、たとえばチャートを駆け上がるような上昇だとしたら、低気圧はそれに伴い発生するノイズに起因しているのかと想像する。
想像しただけでつらくなってきた、何が有名税だ、しばくぞ(私の)仮想敵。

すれ違う 手作りの夕景
グレイで沈めた 油絵のにおい

ここで出てくる「夕景」、いかにも『draw (A) drow』、時雨を描いている。
大森さんの今までの歌詞では見慣れないが、凛として時雨からすると定番の単語がちりばめられている。

気付いたものを抜粋する。
抜粋状況からお察しの通り、私は最初の2枚が大好きだ。

夕景の歌を探しました(Sergio Echigo)
君を殺して 花を枯らした(Sergio Echigo)
鮮やかなクラクション(鮮やかな殺人)
花が少し枯れるから(鮮やかな殺人)
刺して ナイフで刺して ぐちゃぐちゃにして(Sadistic Summer)
灰色だった 君の音は(ターボチャージャーON)
透明な歌の意味を教えて 歌の意味が消えていくとき(ターボチャージャーON)
どこかで見たような夕景(傍観)
僕になりすましている自分を ゼロというナイフで切り裂きたい(傍観)

「灰色」ではなく「グレイ」となっているが、私が思い出したのはあのMVだ。
また、油絵と言えば美大時代のことだろうか。
先日のMUTEKIツアー金沢公演では美大時代の思い出を多く語ってくれたが、他者とのコミュニケーションが著しく欠如していたことをMCで何度か聞いた。
「すれ違う」「油絵」からは他者との交流が閉ざされていることを感じるし、「グレイ」から今はいなくなってしまったバンドのことを思い出す。
離別や孤独が歌われているのだとしても、「沈んだ」ではなく「沈めた」、自動詞ではなく他動詞であることに主体的な意思が込められているのであれば、それは寂しさではないのだと思いたい。

圧倒的な君の哲学は白濁のコンドームで
護れなかった自分なんて
突き刺した順に死ね

この歌詞が私にとって一番難解、というか自分にとってしっくりくる解釈を持つことが出来ていない。
「白濁のコンドーム」から、ここの「君」は男性であることが予想される。
そして「圧倒的な君の哲学」は率直な賛辞ではなく、「こっちはお前の理屈で生きてないから!」という皮肉だと私は感じた。
そうであれば、この「白濁のコンドーム」が示すものはなんだろうか。
「圧倒的な君の哲学」が揶揄だとしたら、白濁が自慰の結果、すなわち独り善がりな自己満足の結果であればしっくりくるのだが、コンドームであればオナニーではないだろう。あるいは、オナニーにもコンドームは用いられるのだろうか?私には解らないし、知りたくもないので誰も教えてくれなくて構わない。
あるいは、コンドームすなわち避妊、次の命を育むものではないことを示しているのか。
至極真面目に考えたが、家庭で共用しているPCに様々な予測変換が残ってしまった事に困惑している。

「自分」に「突き刺した順」があることから、「自分」が複数あることがわかる。
「複数存在する自分」から、本作のカップリング曲「わたしみ」の世界観と繋がりを思う。
「わたしみ」についてはかつて感想を述べたので下記を参照してくれたらすごくうれしい。
100milliliter.hatenablog.com


身体的な活動停止に伴う生死と、「仮想的な自殺」に代表されるそれ以外の死については「流星ヘブン」の歌詞に顕著だと思うが、この「死ね」は「忘れる」ではないかと思った。
「許さないまま、忘れる」といつぞや述べていたと記憶しているが、ここでの「自分」は「護れなかった」し「突き刺した」のだ。
やや自暴自棄にも思えるが、傷ついた自分をいつまでも取っておくことは、非常に負担が大きい。
「お気に入り、使い古した絶望」の夢を未だに見る私が言うのだから間違いない。
ただ、出来ることなら自分のことは護りたいし突き刺したくないし死んでほしくない。そんなにうまい事はいかない。なので頑張る。

draw (A) drow 僕が描いた僕だけが
次の一手をそっと僕に告げる
なにかが体内で 意思を持って産まれるとき
とても痛いけど

冒頭に記載したインタビューの通り、この曲で大森さんは常ならば本人は却って表現し辛い「時雨っぽいもの」を描いている。
しかしながら、1つ目の「僕」は「大森さん」、2つ目の「僕」は「大森靖子」を示しているのだとすれば、当然ながら大森靖子を描いていくのは大森さんに他ならないのだと、そしてそれは出産さながらの産みの苦しみ(出産した経験がないし、千差万別であろうから想像も及ばない言葉だ。遣いづらい。)を持つのだろうと思う。
ここで「産まれる」ものはお子さんと楽曲を掛けているのだろうが、楽曲も「意思を持って産まれる」ものである点に着目したい。
「この歌私のこと歌っている」(マジックミラー/TOKYO BLACK HOLE)と思うことが、私は最近個人的な事情により増えたが、それらの楽曲たちが意思を持って産まれているのだとしたら、それが体内から放出(出産、より放出、というイメージ)されることを想像すると、そのエネルギーにゾッとする。「痛い」って大森さんも言ってるし。

運命って言ったのは他の運命殺すため
摘み取った花はすぐ枯れてしまう
地を這う花よ 剃刀の夢は夜ひらく
好きな色で生きてみて

この「運命」からは「わたしみ」にも登場する「運命」と同じものを指しているのだと思う。
そのように考えると、「draw (A) drow」と「わたしみ」が同じCDに収められていることに大きな意味を覚えるので、ぜひCDを購入して聴いていただきたいものだと思う。

「夢は夜ひらく」は「圭子の夢は夜ひらく」のオマージュだろうが、10代の少女から圧倒的な支持を集めているらしい(PON!とかで言ってた)大森さんのファンの10代の少女に、「藤圭子宇多田ヒカルのお母さんだよ」と説明してもまず宇多田ヒカルを知らない場合もあることを、私は覚悟しなければならない年齢になった。負けない。何にだ。「えっ、三十路なの?」って言ってくるあいつだよ。三十路まで生き延びたことを評価してくれ。してくれなくてもいい。
改めて「圭子の夢は夜ひらく」を聴いたが大変に素晴らしく、YouTube様ありがとうという気持ちだ。
「好きな色で生きてみて」とある通り、一連の歌詞はこの曲へのアンサーだろう。
摘み取られすぐ枯れてしまう花から、「●●っぽい」「ポスト●●」と言われて簡単に消費され消えていく若い女の子のミュージシャンを想像した。「地を這う」とあるから地下アイドルも含まれているのかもしれない。
「女の子」に限った話ではないと思うが、「好きな色で生きてみて」のメッセージをより受け止めるために、是非「圭子の夢は夜ひらく」を聴いてほしい。
圭子の夢は夜ひらく 藤圭子 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

切り刻む秘密が塵のよう
視界をかすめて 逆に鮮やかな

この歌詞も今ひとつ咀嚼できていないことを白状する。
TLの様に届くという大森さん宛のDMをイメージしている。
ここでも「鮮やか」という歌詞に時雨っぽさ、時雨みを感じる。

あの日のフィクションブルース 点滅のbeat
煽る信号に間に合えたのかな

この辺りも時雨みを感じる。(つまり咀嚼できていない)
「煽る信号」とあるが、煽られているのが大森さんで、信号とは「速くしないと間に合わないよ」ということであれば、女性がミュージシャンとして売れる年齢のことを示しているのではないかと思う。
そんなものあってたまるかと思うが、現に25歳だか30歳だか以降の人は残念ながら演歌の人しか浮かばないし、私が小学生のころ「歌姫」は10代後半ですらあった。あゆを知った時には20代だったので、「この人はハタチ過ぎてるんだな」と思ったことを思い出した。
そんな煽り、一体誰に何の得があるのだろうか。私には解らない。ちょっと悲しい。

なにかが体内で
歌えないで 耐えないで

この辺りの母音の並びに時雨みを感じる気がするのだが、そこまで時雨の歌詞を解析していないので勘違いかもしれない。
同じような音を並べた言葉遊びだとしても、「耐えないで」は「煽り耐性」のことを指しているのではと思う。
耐えないでもいいのだ。悲しいものは悲しいし、嫌なものは嫌なのだ。誰が三十路だ。私と大森さんは30年生き伸ばしたんだよ。
この言葉遊びに付け加えるとしたら「絶えないで」だ。
歌、音楽が絶えないことを願うし、私は生きるほうを選びたい。

心不介在の奇怪なスローモーション
エモーション溶かして
使い捨ての僕の閃きを突き刺して死にたい

「突き刺す」という言葉も実に時雨みがある。
「刺して ナイフで刺して ぐちゃぐちゃにして」(Sadistic Summer)と初めて聴いた時はたまげた。
歌いだしでの「ネオでないもの」の話に戻る。
「宿主不明」「敵のいない」に続き「心不介在」と来た。
(私には)咀嚼し辛い歌詞が続くが、今までの歌詞を総括する箇所はここなのだろうか。
興味本位の炎上加担、コンテンツ消費速度への警鐘?
この「死にたい」や「僕」は何を示しているのか、今も考えあぐねている。

draw (A) drow 僕が描いた僕だけが
次の一手をそっと僕に告げる
間違ってる 間違ってゆく この歌を
黒いビニールで 海へ流したら

「間違ってる」「間違ってゆく」のは、誰(主体)で何(対象)なのか考える。
「この歌」が主義主張や美学や意思だとして、それを「間違ってる」と定義するのは冒頭の「幻虫」だと私は思った。
そして「間違ってゆく」のは世界からこの歌(主義主張や美学や意思)への理解、なのかもしれない。
「わたしみ」では「馬鹿な奴の理解を少し諦めている」と歌われている。この文章(ここまで7000字)も、さっぱり的外れで無理解を露呈しているだけかもしれない。
こういう文章ではなくて、もっと、こう、Amazonレビューにぴったりの販売促進になるようなモノが書きたい。
2018年の目標は、Amazonレビューを書くことにする。

「黒いビニール」で思い出すのは、かつての家庭用ごみ袋と、女子トイレの三角コーナーだ。
三角コーナーが「汚物入れ」と呼ばれることが私はひどく嫌だった。
私が好きで排出してるわけでもない、お腹も痛いし面倒くさい結果を「汚物」と呼ばれること、まるで自分が汚物にでもなったかのような気分だった。なので、たとえ丸でも四角でも何でも「三角コーナー」と呼んでいる。
三角コーナーに伴うあれそれは隠されがちだ。
こそこそ隠さなければならないことは、自分がいけないことをしているような気持にさせた。悪いことは何もしていない。お腹も痛い。
そのため、この「黒いビニール」という単語選びから私は自分が感じていた憤りを思い出すし、この言葉が歌詞になったことで、少し溜飲が下がった気がした。
「今まで憤っていたから、この歌詞をこんな気持ちで聴けるのだ」と思うことを救いとしたい。
ちなみに「汚物入れ」という呼称はいつからかどうでもよくなった。30年生き伸ばしてきてよかった。

永遠にしないで 透明にしないで
絶対にしないで 好きに壊して

その時のただの発言を繰り返し繰り返し、長々語られることが好きではないし、スクリーンショットは写真作品ではない。
簡単に「永遠」が作れるからこそ、変わっていく大森さんを見つめていたいし、その時好きだと思えば好きだと伝えたい。
それが私に出来る「永遠にしない」だ。

透明とは何だろうか。透明感のことだろうか。ザキヤマあおいだろうか。
「透明感」というつかみどころのない賛辞の使い道が私には今ひとつ解らないが、あの頃のザキヤマあおいが最強であったことはよくわかる。

「絶対少女」「絶対女の子がいいな」「絶対絶望絶好調」、「絶対」の登場回数は少なくない。
私はいつだって自分の「好き」が疑わしいし、いつだって新作をひいき目なく触れることが出来ているのか自信がない。
(ひいき目の無い態度で芸術に対峙したいというのは私の美学のようなものなので、絶対だとは思っていない)
私は大森さんを「絶対」にしてやしないだろうか、と思っているが、この「絶対にしないで」はそういうことかな、解釈一致だったら嬉しいな、などと思っている。

歌詞でも何でも自由に受け取ってくれれば、というMCが先日の金沢であったと記憶しているが、この文章も「好きに壊して」の一環だと私は勝手に思っている。
が、それよりも大きな「壊す」は、やはり「芸術を創造すること」だと思う。

また誰かが 斬新な希望で
僕の遺作を 世界を壊して

大森さんもまた「●●っぽい」「ポスト●●」と言われてきた側であったと思うが、今度はその逆、「大森靖子っぽい」「大森靖子のパクリじゃん」と言われている人を目にすることも増えてきた。
初めて見た時は煮えくり返るほど怒りを覚えた。大森さんは、そういうのに対して活動してるじゃん、なんでわかんないの、って。
しめじのパスタ食ってんじゃねえよ。私が一番怒ってるのはあの時ソレだった。
なので、「世界を壊す」ほどの存在を願っているのだとして、それは願うだけでなく、そのための世界をまさに今用意してくれているのが大森さんだと私は思っていて、そこが私はたまらなく好きである。
大森さんに好きだともっと短く伝えられたらどんなにいいものか、最近手紙は2枚までを心がけているけれども、どうしても3枚になってしまうのが悩みだ。
ルーズリーフにびっしり6枚書いていた頃に比べたら進歩したと思ってほしい。

「draw (A) drow」について思ったことを綴った。
言葉を尽くしたつもりだが、これを読んでも、「よっしゃ、CD買うか」となるだろうか。ならなさそうだ。
誰か一人でも、「もう一度歌詞カード読もうかな」とでも思ってくれたら幸いであるし、私はAmazonレビューを書く。








リリースからずいぶんな時間が経ったが、時雨っぽさが強過ぎてまっすぐ聴くために時間を要した。年が明けた。