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白昼夢、或いは全部勘違い

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音楽くらいは魔法であってくれよと願う私と、音楽を魔法たらしめんとする西の魔女のこと

音 楽 は 魔 法 で は な い ・ 大森靖子 - YouTube

「音楽は魔法ではない」を巡る世間のことは置いておいて、伝えたい事は以下の3点。

  • 「音楽は魔法ではない」という言葉に、私がどれほど救われたか
  • 「でも音楽は...」のその先
  • 「音楽の魔法」とは何か

本当は「ふざけんなぶん殴るぞ」などと思うことも沢山ある。
でも私に出来るのは好きを伝えることなので、上記3点について思う所を綴る。
あと、今年の目標は「誰にでもわかる文章を書く」と「言葉は短く、愛を濃く」なので、手短(当社比)に。
頑張って2500字くらいにまとめたので、まあ、読んでくれよ。


「音楽は魔法ではない」という言葉に、私がどれほど救われたか
私が書くものはすべて個人的な話だが、その中でも極めて個人的で、軽微な絶望の話をする。
10代の頃、「音楽は芸術であり、芸術はすべて尊く、また音楽を通じて得たものは全て大切にすべきものだ」と信じていた。思い込んでいた、のほうが正しいかもしれない。
だから音楽を通して得たもの、簡単に言うと吹奏楽部で得た思い出も写真も同級生もその他全てをなかったものとした自分は音楽にとても失礼なことをしていて、音楽を好きでいる資格なんてないのだと思っていた。
なのにライブハウスに通うことはやめられず、積み重なるCDは罪悪だった。

初めて大森さんのCDを買ったのは、発売されたばかりの「魔法が使えないなら死にたい」。
繰り返される「音楽は魔法ではない」を聴いて、「『音楽は魔法ではない』って、思ってもいいんだ」と、私の頭の中には全くない考えを、ましてやミュージシャンが歌うことに驚いた。
「でも音楽は...」と続くその歌詞から、「この人は、本当は『音楽は魔法だ』って思っているんだろうな」と考えたし、「音楽は魔法ではない」の真意はきっと私が意図していることとは一致はしないだろうと思ったが、それでも私にとって「音楽は魔法ではない」は呪いを打ち砕くお守りのような歌詞だった。
「音楽は魔法ではない」という言葉に私がどれほど救われたか、そんなこと私だけが知っていればいいのかも知れないが、多く見積もって10人くらいが読んでくれるここに書き留めておく。
ノスタルジーに中指一つたてるのにも、私は滑稽なまでに必死だ。


「でも音楽は...」のその先
その先について、私なりに考えたことを綴る。

私が言い切ることに躊躇いはあるが、「音楽は魔法ではない でも音楽は...」のその先は、「でも音楽は魔法だ」だと思う。
もう少しわかりやすく言うと、「すべての音楽が簡単に魔法になれるわけではない。でも、音楽はきっと魔法のようなものになりうるし、音楽の魔法を手に入れるために歌を歌っている」だと思っている。

わかりやすく、以下「音楽は魔法ではない」を音楽(A)、「でも音楽は」を音楽(B)と書く。

脱法ハーブ 握手会 風営法 放射能
ダサい ダンス ダウンロード
って言ったら負けのマジカルミュージック

「マジカルミュージック」は音楽(A)を指しているように思う。
この曲が作られた当時のライブハウスを中心とした音楽シーン(音楽シーンってどこ?)で話題になった用語が並べられている。
よく解らない人は2012年の出来事を調べるか、私に聞いてくれ。
考えていかなければならないことかもしれない。でも、不安で仕方がないことばかり。
音楽が簡単に「魔法だよ!」と呼びきれないものであること、いつ何時も平穏無事なものになり得ないことを表す事実の羅列だ。

ノスタルジーに中指たてて
ファンタジーをはじめただけさ

ファンタジー即ち幻想、「魔法が始まる」というよりは、「Fantasyが始まる」へのオマージュの意味合いが強いのではなかろうか。
大森さんは「Fantasyが始まる」の歌詞を体現し音楽(B)を生み出すことで、魔法に近づけてくれているのだと思う。

タイトルの通り、「音楽くらいは魔法であってくれよ」というのは音楽にへばりついて生き伸ばしてきた私の願望だ。
自主的に手を伸ばさなければ、音楽とは縁もゆかりもないところで生きている。毎日毎日儘ならない。
せめて音楽の中くらいは、私の唯一のサンクチュアリイであってくれよと望んでいる。
また明日も生き伸ばすことの出来るように、せめて今だけは安全で不安がないと思わせておくれよと切に願っている。
大森さんの音楽と対峙している時そこには私と大森さんしかないから、私はいつも安心している。
何人もに個別のシェルターを作り出すような音楽(B)は「魔法」と呼んでもいいのかもしれない。

「音楽の魔法」とは何か
「音楽を捨てよ、そして音楽へ」が収録されている1stアルバムのタイトルは「魔法が使えないなら死にたい」だ。
同アルバムに収録されている、表題曲に近いタイトルをもつ「魔法が使えないなら」の歌詞を引用する。

魔法が使えないなら死にたい

音楽の魔法を
手に入れた西の魔女4: 44

西の魔女とは、西日本である愛媛県出身の大森さんのことだろう。
オズの魔法使いのことも思い出すし、梨木里香の『西の魔女が死んだ』も思い出すが、あまり関係はなさそうだ。)
(『西の魔女が死んだ』、とてもオススメの一冊。)

アルバムタイトルに「死にたい」と入れるほど「魔法」を手に入れることを望んでいるのだとしたら、きっとその魔法とは「音楽の魔法」のことだろう、と思った。

ところで、そもそも「魔法」とはなんなのか。
あの頃「音楽は魔法なのか」という意見は飽きるほど目にしてきたが、私にはそれがとても奇妙に思えた。
杖を振ったらドカーンと爆発し呪文を唱えたら怪我が治るような代物の存在をおそらく全く信じていないであろう人々が「魔法だよ!」「魔法じゃないよ!」と熱弁することに「そもそも魔法って何だよ…」と少し冷めた目を向けていた。
先に記載したとおり、私にとって「音楽の魔法」は絶対に安心できるサンクチュアリイを生み出すものだが、「音楽」も「魔法」もイメージするものは人それぞれだろう。
「議論を始める前に用語の定義をしなければならない」は私の担当教授が繰り返し教えてくれたことだ。私が今も大切にしている教えの一つなので、おすそ分けする。

「殆ど毎日不安なく生きています」という人にとって、安心を提供してくれるものはきっと魔法ではないだろう。ファンタジーではなく、普通だ。
生きることが不安で仕方ない私には、「これがあれば安心!」というものは魔法と呼んでしまうほど得難く、幸いなことにそれは私の手の中にあるし、足を運ぶこともできる。

音楽は魔法ですか、魔法と呼べる音楽があなたにはありますか。
願わくば、あなたのCDラックやiPodApple Musicの中にも、魔法が紛れていることを。