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読書感想メモ「霊応ゲーム」

(あらすじとか結末とか言及する)

霊応ゲーム (ハヤカワ文庫NV)

霊応ゲーム (ハヤカワ文庫NV)

きみに手出しをしようなんてやつはだれもいないさ。そんなことをするやつはだれだって、このぼくが殺してやるからな

ミステリだったり思春期の美少年が云々であったり性的マイノリティが歴史的にどうのであったり破綻した夫婦関係であったりオカルトであったり色々な側面はあるだろうが、私はこの作品の「幼少期から思春期における保護者からの安定した愛情の不足」、所謂「愛着」の問題の描かれ方に惹きつけられた。

イングランドの伝統あるパブリック・スクールが舞台。
孤高の美少年がいじめられっ子に手を差し伸べたところから、不幸な事件なのか怪奇現象なのか、が起きる。
「霊応ゲーム」は「こっくりさん」のようなものらしい。肝心の場面は謎のままなので不明。
不思議な力でいじめっ子や意地悪な教師が不幸な目に遭っていく様は呪いのようだ。
同じく寄宿学校であるギムナジウムを舞台とした作品「トーマの心臓」はキリスト教文学のような側面があるけれども、この作品は宗教性を全く感じなかった。
度々出てくる礼拝の場面や聖職者が薄っぺらく見える描写もわざとなのだろうか?
単純に「イングランドだし神より伝統って感じなのかなー」くらいの浅い理解しか持っていないが、呪いのような「霊応ゲーム」も悪魔よりは精霊という印象だ。違いはよくわからないので適当に書いている。

私は「憎くなければ愛ではないのかもしれない」と思わせるような物語を好んで読むけれど、解説に「史上最凶のヤンデレ」と書かれたリチャードの愛はまさに憎しみと紙一重だ。

孤高の美少年であったリチャードはいじめられっ子で気弱なジョナサンに、初めは庇護を、そして独占欲を、最後には憎しみを向ける。
ジョナサンが指摘するには、リチャードが延々と無数の他者に向け続ける憎しみの根源は、母親に置いて逝かれたことだという。
ジョナサンは離婚した父を後妻に取られそうになっている。同級生のニコラスは、死んだ兄と自分を比較しているであろう両親に負い目と不安を持っている。同じく同級生の双子は、兄には兄として負わされた責任がのしかかるし、弟は兄からの自立を模索する。
彼らは皆14歳であり、親元を離れ全寮制の学校で暮らすことを至上の名誉とされている。
それぞれがそれぞれに、親との関係性に足りないものがあるにも関わらず、だ。

「人前で泣いてはいけない」「弱い人間だと思われたら下に見られる」とされる学校生活の中で、ジョナサンは失われつつある父親の愛情の代替を、かつては上級生に、のちにリチャードに求める。
しかし完璧に見えるリチャードも成熟した父親(この世に成熟した父親なるものが存在するのかは知らない)などではなく、母親からの愛情を失った孤独な少年であり、ジョナサンが自分から離れていくことにも、自分とジョナサンを引き裂くものにも、過剰な拒否反応と攻撃を示す。
一見、互いの要求が一致したように見えた彼らは少しずつズレを起こしていき、エンディングを迎えることとなる。

他者からの安定した愛情、その場にいなくてもいつだって自分を肯定してくれていると思える気持ち、「安全基地」と呼ばれるそれを少年たちが求め合うことの不安定さが描かれているように私は思った。

仲睦まじい頃のリチャードとジョナサンは、それはそれは美しい。
見目麗しく頭が良く弁も立ちそれでいて孤高の存在であったリチャードが、決して凡人ではないのに自信のないジョナサンとだけは友情を育み、2人だけの世界を作り出す。
賢いリチャードにしかできないやり方で、パブリック・スクールに蔓延る不条理からジョナサンを守り、「きみのようになりたい」と言わしめる関係性は危うくて儚いものかも知れないが、いっときの美しさを持っている。
そしてその関係性は恐怖と憎しみに取って代わる。
フィクションとしては、リチャードの「なぜぼくから離れていこうとするのか」という憎悪すら悍ましくも美しいものであるが、きっとリチャードのような思いをした少年なんていくらでもいるんだろうと思うと、彼らにもっと幸福な道はなかったのかと考えてしまう。

あとは、パブリック・スクールの歪さがよく描かれているのだろうけど、縁のない世界なので「こんなところなのかなあ」という印象だ。知識がないというのは残念なことだ。
戦場のメリークリスマス」でもスクールの場面があるが同じような印象を受けたので、きっとそういうものなのだろう。

ときめくかときめかないかでいうとめちゃくちゃときめく作品であったし、とびきりの美少年で映画化してほしい。