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白昼夢、或いは全部勘違い

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読書感想文「車輪の下」

「心を殺す」ことは、肉体的な死に先行した死であると思った。

「中学生におススメ!」との帯がついた世界的名作だが、読んだことがなかったので、真面目に読んだ。真面目だから。

小さな町始まって以来の秀才であるハンス少年は、少年時代のあらゆる美しいもの、野うさぎと遊ぶことであったり手作りの竿で魚釣りをすることであったり友人と野山を駆け回ることであったりの全てと引き換えにして、神学校へ2番の成績で入学する。
詰め込まれる勉学、奔放な友人との出会いと別れを経て、ハンス少年は精神の均衡を崩し、幸福とは言い難い最期を迎えることとなる。

天才ではなく勤勉、ただひたすら努力のみによって結果を積み重ねるハンス少年の原動力はなんだったのだろうかと想像する。
父親、故郷の教師や神父など様々な人々が、ハンス少年に安定して恵まれた道を歩むことを望み、娯楽を遠ざけ、勉学を良しとする。
それは果たして、ハンス少年の望んだことだったのだろうか。14歳前後、20世紀初頭、少年が自分で自分の道を選べなくても無理はない。
選ぶと言うことすら思いつかないのかもしれない。
体調を崩しても勉学に打ち込み、ついに心身を喪失してしまう様は痛々しい。
世間が自分に求めているのは神学校でよい成績をとることだけだと思っていたのだろうかと想像すると、私はあまりに悲しい気持ちがする。

本作において唯一と言っていいほど「心を殺さずに」生きているのは、ハンス少年の同級であるハイルナーだ。
奔放で、豊かな感受性を持ち、雄弁な詩人である彼に惹かれるのはわけもないことで、私も漏れなく彼の強烈なキャラクターにときめきを覚えた。
彼は「心を殺さない」選択をした結果、神学校から逃走する。心を殺さないための代償だが、その損失は当時の社会からすれば多大だろうと想像する。
大きな代償を払って手にした「心」はどんなものだったのだろうか。私にはわからない。

仲の良い同級生であったハンス少年とハイルナーの決定的な違いは、この「心を殺す」か否かだろう。
ハイルナーのように生きられなかったハンス少年は、心を殺し続け、心身を喪失し、結局は肉体的な死を迎える。しかし私は、ハンス少年は肉体的な死を迎えるそのずっと前にもう「死んでいた」のではないかと思った。
心を殺して生きることは、社会的に見てどんなに立派であろうとも、果たして生きていると言えるのだろうか。

「生きている」とはなんだろう、私は今生きていると言えるのだろうか、そんなことを考えた。



蛇足。
ハイルナーはなんの手助けにもならなくてしかも手のかかる良いとこなしのオスカー(トーマの心臓)って感じでサイコーだった。
オスカーは最強だなあ。