コンテンツの消費

白昼夢、或いは全部勘違い

コンテンツの消費

それでも 話をしよう そのために立っている

これは「歌詞、読めばわかるよなぁ」ということを、私が私の為に記録しているやたら長い文章だ。
書く必要あるのかなぁと思いながら、でも、私はこう思ったんだよということを表明したくてガチャガチャとキーボードを叩いている。

今回ほぼ全曲の編曲を担当しているANCHORさんはアニソン(と、十把一絡げにして申し訳ないが)を手掛けているとのことであるが、経歴を調べて「えっっすっご」と声が出てしまった。
この曲の「アニソンの論法だ!」と私が思ったところは、「テレビサイズはさらりとキャッチーなのに、それ以降では思っていたよりずっとえげつない」部分だ。

ZOC実験室

まず、「実験室」の話をしよう。
大森靖子の続・実験室」は、インディーズ時代の「大森靖子の実験室」を前身とした、現在ではファンクラブ「実験現場」の会員のみを対象としたイベントである。
「ZOC」と「続」の関連は言うまでもないと思うが、果たして「会員であること」は「ZOC」なのか、それは後述する。

あなたに届かない 攻撃も 魔法も
気持ちなんてそもそも 表示されないし

「ZOC」、大森さんがLINE LIVEにて話していた際に初めて知った言葉だったが、「攻撃の有効範囲」と認識している。
なので、この「あなたに届かない」のは「私の気持ちが伝わらない」を意味しているとして。
気になるのは、なぜ届かないのか、である。
攻撃の範囲を決めるのはなんなのだろうか。
(私が最後にクリアしたゲームはPS1の「るろうに剣心 十勇士陰謀編」なので、ゲームについてはお手柔らかに願いたい。)
そもそもレベルが低いから、攻撃力が足りない、HPだかMPだかが足りない、などだろうか。
それとも、相手の防御力やレベルが高いからだろうか。職業や属性の相性が悪いのかも知れない。
であれば、「あなたに私の気持ちが届かない」のは、「私」が「あなた」にマッチしていないのではないかと想像する。
けれど、歌われているとおり、気持ちはそもそも表示されないものである。
なので、届けたいものがあったとしても、それが届いたのか、有効なのか、届かなかったとしたらなぜか、そんなことはわからないのだ。

コマンドなる前に 消しちゃえば
恋なんてなかったみたいにね
なかったみたいにね

この「コマンドなる前に」が私にはいまいち意味がわからないので、ゲームに詳しい人がいたらご教示願いたい。
私の想像によると、負けそうになるとリセットボタンを押す大森さんだ。
前述の「あなたに届かない(届かなかった?)」コマンドが実行完了する前に取り消ししてしまえば、伝えたかったことは初めからなかったことになる、ということだろうか?
「恋なんてなかったみたいに」できるだろうか?
私には無理だ。

支配領域に 永遠にあなたはいない
知らないみたいに過ごすのはできるはず
簡単
ゲームをしないだけ ゲームをしないだけ
スタートしないだけ 禁断症状で
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC 吐きそうだ 好きだ

「攻撃も魔法も」届かないあなたは、支配領域(ZOC)にいないというのは冒頭で歌われていたが、ここで「永遠」が歌われる。
「永遠」は大きな断絶だ。絶対に何も届かない相手だということがわかる。
絶対に届かない相手ならば、「知らないみたいに」つまり「恋なんてなかったみたいに」するためには、そもそもゲームをしないのだと。
全く成就しない相手への恋をなかったことにするために、そもそも恋というゲームをはじめない、ということだろう。
しかし、ゲームをしないことで禁断症状が起きているではないか。なにかが「みえてくる」のだ。
大森さんと幻覚といえば戦国時代の合戦だが、おそらくここでは合戦ではないだろう。
(戦国時代といえば、最近観た「七人の侍」がとても面白かったのでみんな頑張って207分観よう)
繰り返される「ZOC ZOC」は「ゾクゾク」にも聞こえる。大森さんのやることにはいつもゾクゾクする。
「簡単」と啖呵を切ったのに、結局「吐きそうだ」「好きだ」なのだ。
「恋なんてなかったみたいに」するのは簡単ではないだろう、と私は思い知る。

ここから2番に入る。
1番までの歌詞だけでは、「届かない恋をなかったことにしたくとも、結局無理なのだ」という気持ちが歌われているのではと思う。
それだけでも充分に思い当たる人もいるだろうし、私だって私をちっとも好きになってくれなかった人の顔を思い出して「クソ野郎」と思ったりする。
しかし、私が思うには2番あっての1番なのだ。2番を読んでいく。

からだが透けていく 広告も 口コミも
傷つかない媒体に なればいっそラクだよね
信念曲げちゃう? 真心えぐられちゃう?
どっちでダメージを 受けるのか選びなさい

敢えて漢字が選ばれているが「媒体」とは「メディア」であり、「何かを伝えるもの」だ。
ここで私が想像するものはメディア(音楽サイトからSNSの書き込みまで)と対峙する「超歌手 大森靖子」が、何にも傷つかないただの音楽を届ける媒体になる様子だ。
あ、悲しくなってきた。やめよう。相手は人間だという認識の無い人は嫌いだ。
大森さんが歌っているからといって大森さんのことが歌われているとは限らないし、この話は汎用的だと思うので、何かを表現してそれを発表する人すべてに当てはまる事だとして。
信念を曲げれば口コミには傷つかないかもしれないし、信念を持ち続ければ真心はえぐられる。
どちらにせよ何かを表現する人は日々(おそらくは)必要のないダメージを受けているのかと想像する。
こんな文章を気取って綴っている私だって、きっとその担い手に加担したことがあるのだろう。

支配領域にいないあなたと分かり合えない
死なないみたいに 殴る 言葉は痛いっす

1番では、「支配領域」とは「攻撃も魔法も」「気持ちも」届く範囲であったが、ここで支配領域にいない人のことが歌われる。
支配領域にいないということは、こちらからの攻撃は届かないのだ。
にもかかわらず、相手からの攻撃は届いている。
ゲームの理屈で考えると、おそらく相手の方が攻撃力なりなんなりが高いのだ。
この「死なないみたいに殴る言葉」は、おそらく「広告」や「口コミ」であろう。
SNSに「ブズ」だの「メンヘラ」だの書いては「エゴサすんなよ」「有名税だろ」「スルースキル」と述べる人、相手が死なないと思っているんだろう。
自分の攻撃なんて大したことないと思っているんだろう。

全然
ゲームがやめられない ゲームがやめられない
主人公のぼくを監視するぼくがいる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC てめーだろ ぼくは

1番では恋をなかったことにすることを「ゲームはしないだけ」を歌っていたが、ここでは「ゲームがやめられない」と歌われる。
2番のAメロを鑑みるに、ここでの「やめられない」ことは自己を表現する活動を指していると考える。
私が文章をこねくり回すことも、「ゲームがやめられない」なのかも知れない。これで誰かに傷つけられたことは無いけど。運がいいな。
ここで「てめーだろ ぼくは」と言われて私が考えた「てめー」は「支配領域にいないあなた」だ。
安全圏から殴りつける相手、それは自分自身なのだと言われているようだ。
匿名のふりをして相手を傷つけている時、自分を匿名だと軽んじることで傷つけているのは自分だと。
私は性格が悪いのでよく人を傷つけていると思うが、せめて記名でやりたいと思う。なるべくは、やりたくない。

(あーーーーここのベース中尾憲太郎が弾いてるところ見たいなーーーーーーーーー)

本当に怖いのは 孤独じゃない 断絶
運命も主義も違うのはもうわかってる
それでも 話をしよう そのために立っている

ああ、これが「超歌手 大森靖子」ちゃんだなあと私はつくづく思う。
これ以上何か言うのは野暮だ。歌詞のレタリングでもしたい。

本質を変えること と この心のまま削られること
ぼくは後者を選びました
HPももうないし ずっと ドクロマークついてますけど
このままどこまでいけますか
このままで どこまでいきますか
このままどこまで

「信念曲げちゃう? 真心えぐられちゃう?」を言い換えた「本質を変えること と この心のまま削られること」。
何かを表現する人たちはこのような選択を強いられながら活動しているのかな、と想像するだけで、私はそれを享受する一人として真っ当な態度が取れているだろうかと考えてしまう。
せめて大森さんには真摯でありたいので、これを書いているのだ。
「このままどこまでいけますか」と「このままで どこまでいきますか」の主体は誰だろうか。
私は、「このままどこまでいけますか」は、「この心のまま削られ」ながら表現者がどこまで行くのか、に思える。
「いけますか」=「行くことが可能か」、HPはもうない状況で、どこまで到達することが出来るのか。
そして、「このままで どこまでいきますか」は、こちら側にも問われているように思う。
「お前は今のままで どこまで生きていくつもりなのか」と言われているような。
また、「一緒にどこまで行く?」と問われているようにも思う。
もちろん実際のところはわからない。が、私はそう思った。

人体実験やめられない 人生やめられない
ゲームをやめられない 痛いのにやめられない
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる
ZOC ZOC みえてくる

人体実験とは何だろう。
「実験室」「実験現場」から想像するに、大森さんの活動なのかもしれない。
そして、それは何かを表現する人の活動すべてを指しているようにも思う。
痛い、HPももうない、それでもやめられない何かを抱えた人の歌なのか。
そのうえで見えているものはなんなのだろう。私にはみえないのでわからない。

ゲームじゃないからさ ゲームじゃないからさ
スイープしちゃおうぜ
ZOC ZOC 生きてんの?
ZOC ZOC そのキャラで?
ZOC ZOC 引き摺り出せ おまえをぼくをあなたをてめーを
生きろ

結局、ゲームではないのだ。生きることは。
そんな人格(の振り)をして、果たして生きていると言えるのか?と煽られている。
自分を晒して、そのうえで生きろと鼓舞してこの曲は終わる。

私がこの曲に対して一番に思うことは、果たして自分は大森さんのZOCに入っているのだろうか?という事だ。
「ZOC」は「続」だろうと前述した。「続・実験室」には何度か足を運んだことがある。ありがとう地方開催。
しかし、「続」の範囲だからといって「ZOC」の範囲にたやすく入れるとは、私には思えないのだ。
大森さんと私の「運命も主義も違う」ものだ。
私にはゲームに負けている途中でリセットボタンを押すことはできない。
一人だけマリオカートでいつまでもゴールできず、後で泣くような人間だし。
そんな違いがあることはわかり切っているが、私と大森さんは分かり合えないのだろうか。
違う人間だ。分かり合えないのは当然かもしれない。
大森さんの創作物が好きだ。私の感受性を総動員して受け止めたいと思っている。
(そういえばこの間、「感受性強過ぎて生きづらそうですね」と言われたけど悪口だったのかな。)
こんなにグジグジ考えている私に、大森さんはとっくに答えを与えてくれている。

それでも 話をしよう そのために立っている

この文章はそのための一環だと私は思っている。大森さんと話がしたい。
そして、私の周りの誰かと話をすることも、諦めたくない。