白昼夢、或いは全部勘違い

白昼夢、或いは全部勘違い

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ちょっとどうかと思われたところで平気な人VS私

これは理解の崖っぷちだ。

GIRL'S GIRL

最初に述べておくが、私はあまり自分の性に興味がないというか、興味を持つであろう年頃に(今思うと)抑圧されていたので共感やエモーショナルな理解はあまり持っていない。
自分が「女の子」であることがひどく苦手で、どちらかというと気持ち悪いことだったし、抑圧を自覚する頃にはもう大人になっていた。
まあそんなことはどうでもいい。

まずはタイトルの「GIRL'S GIRL」。
「女の子の女の子」には多くの意味が込められているのだろう、と想像する。

最初に思ったのは「女の子の中にある『女の子』の像」、あるいは虚像。
女の子にとっての女の子、ということだ。
例えば、「おっさんの思う『(かわいい)女の子』」と、「女の子の思う『(かわいい)女の子』」の最小公倍数も最大公約数も、きっと異なるものになるだろう。
つまり、「GIRL'S GIRL」は、「女の子が所有する女の子」、であって、当事者である女の子が考える「女の子」を示しているのだと思う。

私が簡単に怒りを覚えてしまう、性の対象として消費される「JK」ではなくて、女の子が考える「女の子」がカルチャーとして私の目に入ってくるようになったのは、思いのほか最近だと感じる。
「愛され」「モテ」という受動態ではなく、「可愛い」という主体なのかな、とポジティブに捉えている。

もう一つは、2014年10月に開催されたピンクトカレフのワンマンライブで大森さんに充てがわれたキャッチコピー、「女の中の女」。
「男の中の男」をもじったこのフレーズは力強く、それでいて女であることを放棄するのではなく、「今手元にあるもの」を土台にしながら生きていることの強度が高まったような、あの頃の大森さんによく似合うものだ。

前置きが長くなるが、「女の子」の定義にも触れておきたい。
身体的な性別が女であること、および年若いことはおそらくあまり関係がなく、「女の子」を自認したり自覚したり葛藤したり標榜したり渇望したりする、あらゆるなにかに当てはまる歌だと思う。
それはMVに男性やお人形さん(と言っていいのか、差し支えあったらごめんなさい)が出演していることからもうかがい知れる。
「女の子」とはなんなのか。
マザーグース

男の子って何でできてる?
ぼろきれやカタツムリ、子犬の尻尾
そんなものでできてる
女の子って何でできてる?
砂糖やスパイス、すてきなことがら
そんなものでできてる

とうたっていたが、抽象度に差がありすぎやしないか。
私なら多分きび砂糖とグローブか八角あたりで出来ている。
それはともかく、単に「年若い、女」とは異なる範囲を持って、この歌を聴きたい。

「人生が可愛くないと生きてる価値なくない?」
「てめーが言うなよブス」
「チッ」

人生を主語にして、可愛いを述語にとることが出来るだなんて知らなかった。
可愛いは最強の形容詞だ。
ナナちゃんかわいい。

私はいつ完成するのかな
とりあえずみたいな自分で誤魔化してる
完成した私で恋とか仕事とかお茶とか自撮りとかしたいのに

私が完成するという発想がなかったので驚いた。私はポンコツなので。
完成した結果やりたいこととして並べられているものの多様性、仕事とお茶を並列にすることに、「人生」を「可愛い」とするヒントがあるように思う。

誰かに選ばれたいわけじゃない
私が私を選びたい
ありふれた可愛いとか無意味
突き抜けて可愛くなりたいんだ

MVで動き回るのがオーディションで「誰かに選ばれた」女の子達であることの意味が、私にはまだ消化できていない。
が、そもそも人前に立つことを自ら「選んだ」のかな、と思っている。
ファッション誌のキャッチコピーが「愛され」「幸せそうって思われたい」と、ひたすらに受動態であることに辟易していた頃もあった。
それとは異なり、ひたすらに能動的であること、どちらがいい悪いの話ではない。
しかし、選択肢があるとも思えなかった時代から、自分のやりたい方を選べることに価値があるのだとつくづく思う。

ダウンタウン 歩けない
ダウンタイム やるせない
性 警戒しないでBOY
整形 指さされ GIRL

このアルバムでは韻の踏み方、それとそれで韻を踏むんだ!?という驚きに満ち溢れている。
ダウンタイムはそれは遣る瀬無いだろうが、それを歌にしてくれた人が今までいたのか、いなかったのか、わからないけれど私が知る限りでは初めてなので、この、バキバキのサウンドに乗せて歌われる曲が、世界の遣る瀬無い人たちに届けばいいと思う。

2ヶ月恋愛できないし
元の私には戻らない
世界を愛してしまいたいから
自分に愛着持ちたいな

引き続きダウンタイムのことが歌われているのだろうか。
私は整形した経験がないのでわからないし、2ヶ月恋愛できないのが長いのか短いのかよくわからない。
わからないことばっかりだよ。

世界を愛せないのは世界が悪いのだと思っていた。
自分に愛着を持ちたいどころか、自分が自分に愛着を持っているのかすら、あまり意識したことがなかった。
自分のそれが悪いとは思わないが、このような世界との対峙の仕方もあるのだと知れたことに意義があるし、愛着はあるに越したことはない。

かわいいは正義に殴られた私が
いまにみてろと無理矢理作った
このかわいいは剥がれない
絶対誰にも剥がせない

先立っての2曲について書いたものでは、「これはこういう意味だと思う」ということを綴っていたが、この曲はそれを述べる必要がない。
わかりやすいからだ。

GIRL'S GIRL 女の子って最高
GIRL'S GIRL 女の子って最低

てめーら全然わかってない

全然わかってないから、こんなにわかりやすく歌ってくれたのだ。

私はこの曲を初めて聴いた時、「えっ、こんなにわかりやすくないと伝わらないかもって想定しないといけないの?」と思ってしまった。

だって、2番の歌詞はもう、読んでそのままだ。
(なので歌詞カードを書き写すのをサボる)
ダメ押しで日経デュアルの連載を読めば完璧。
ロックママ大森靖子 育児と夢の平行線(連載バックナンバー) | 日経DUAL

「わかりやすい」も「わかりにくい」も主観だし、どちらがいいでも悪いでも、優劣があるわけでも、勿論無い。
(「わかりにくい」に語弊があるなら「抽象的」とか「抽象度が高い」とかだろうか。)
曲への否定的な驚きでは無いことを明言しておく。

なぜなのか考えた。
「今の時代の女の子」を歌うに当たって、必要なのは驚くほどの「わかりやすさ」だったのだと思う。
それほど、「わかってない」と思わされる場面が溢れているからだろう。

わかってほしいとか思わないけど
わからないとかちょっとどうかと思う

こうでも思わなければやってられない。
とある、(主に女性が)働くことをテーマにした記事に「そもそも私たちは頑張っている。そして疲れている」という見出しがあったことを思い出した。
「わかってほしい」と思うのは疲れるのだ。
「どうかと思う」ことでやり過ごせることは、きっと少なく無い。

「僕のことだってわかってねーだろ」と思った少年はいるだろうか。
それは、私が「どうかと思う」と思ったこととは別の世界の出来事だ。
私が「どうかと思う」と感じた、あなたも「どうかと思う」と感じた、それはどちらもあり得る話で、対立する必要も競い合う必要もないことなのだろう。

女の子のことを歌ったこの曲から、私は、もはや女の子であるかを問わないあらゆる人と、とても良い意味で関係なく、それぞれがそれぞれとして最高にも最低にもやっていければいいのになあ、と夢のようなことを思った。

ちょっとどうかと思われたところで平気な人とは戦わない方がいいぞ、という自戒を込めて。

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