白昼夢、或いは全部勘違い

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生誕祭ってなんだろうね2018

「生誕祭」および「誕生日を祝うこと」について改めて考えたい。

私が「この世には生誕祭という文化があるらしい」と知ったのは2013年9月、大森靖子ちゃん27歳の誕生日だった。
その頃の大森さんはまだギリギリ「高円寺で一番紅白に近い歌姫」と呼ばれていて、「超歌手」でもなければ「神」でもなければ「誰なの?なんなの?キスできるアイドルなの?」でもなかった。
(「キスできるアイドル」すら、もはや懐かしいな)
その生誕祭は、大森さんの誕生日を祝うという側面も勿論ありつつ、「大森さんによる、大森さんの大好きなアイドルカルチャーへのオマージュ」というニュアンスも感じられた。
近年行われるバスツアーしかり、私はアイドルカルチャーに疎いが、「そういうものがあるんだなあ」と紹介されているような気分になった。

私はバンドが好きで、好きなバンドを介して大森さんを知ったが、バンドマンはそんなに誕生日を祝わせてくれない。
今はわからないが、誕生日を明かしていない人も珍しくなかったように思う。
たまに誕生日とライブが重なれば、MCで話題になるかどうか。ならない時も、珍しくない。
なので、「大森さんはこんなに気前よく誕生日を祝わせてくれるのか、ありがたいなあ」と思った。

ところでそもそも、「誕生日を祝う」とはどういうことだろうか。
私は「誕生日」が苦手だ。
特に大学生になってから、大学生活特有の自由奔放さと相まって「私とこの人は誕生日を祝いあうほど親しいのか…?」という線引きに悩まされていた。
4年間で一番嬉しかったのは、ゼミの同級生が居酒屋で誕生会を開いてくれたときだ。
あの時もらったシャープペンシルを10年後無くしてしまったので、同型のものを買い求めたくらいには、嬉しかった。
しかし、ゼミの同級生は友達なのでいいとして、「この人は本当に私の誕生日を喜ばしいと思ってくれているんだろうか、義理だろうか、それとも人情だろうか」という不安は拭えなかった。

それを今も引きずっているので、twitterでお祝いのリプライを送るのも苦手だ。
「この人とそんなに仲良くないのに返事に困るな」って思われたらどうしよう、と考えてしまう。考えすぎだ。
祝う気持ちはある。
誰にしても生き延びることができたのはどちらかというと喜ばしいことだろう。
それを毎日お祝いしていては締まりが無いから、その区切りとして誕生日を祝うのだと、私はそう考えている。

なので、「めでたいとは思いつつ、関係性が可視化されるようで苦手」、それが私の誕生日に対する思いだ。
それは自分が祝われる立場としても同じくで、よっぽど気を許している人に祝われるのは素直に嬉しいが、そうでなければ「お祝いしてもらって申し訳ない」という気持ちになる。
なので、twitterには誕生日を書かない。

その上で、コンテンツとしての「生誕祭」のことを思う時、それはプライベートなようでいて、もっとも滅私したイベントに思えてならない。
「春を殺して夢は光っている」というやつだ。

大森さんはありがたいことに私を知っていてくれている(いわゆる「認知」)が、それは本当に運のいいことで、大森さんにとって私はひとりのファンである。
「道行く他人よりちょっと上」くらいかなあと思っている。多分、知らない人ではないだろうし。

道行く他人の誕生日をお祝いすることは、多分難しい。
好きなバンドマンの誕生日をお祝いすることも、案外(私には)難しい。
私は9年ほど好きなバンドマンがいるが、誕生日は3年に1回くらいお祝いする。あんまり気合い入ってても怖いかな、という遠慮だ。

知らない人に誕生日、祝われるの、怖くないですか。
大森さんは「アイドルは好きになることを許してくれる」とかつて述べていた。(ソースはネットのインタビューとかだったと思うから気になる人は自分で探してくれ)
例えば私がその辺にいる高校生の女の子に「可愛い!大好き!」と伝えたら、多分、事案だろう。
しかし、それを許してくれるのがアイドルなのだ。
「誕生日を祝わせてくれる」なんて、その「好きでいることを許す」の最たるものだと、私は思ってしまう。

「えっ!?お祝いしてもいいの??そんなこと許してくれるの??」、
「生まれてきてくれてありがとうって伝えてもいいの???」、
そんな気持ちになる。

「生きててくれてありがとう」「生まれてきてくれてありがとう」なんて、傲慢だ。
その傲慢さを受け取ってくれたこと、わすれないようにしたい。

なので、私はもっと、大森さんに「お誕生日おめでとう」を伝えることに対して、それがどういうことかをよく考えたい。

と、大森さんの誕生日前から思っていたことを今日ようやく書き綴っている、という話。

これは私の考えでしかないので、「めでたいことはどんどん祝おうよ!」などという意見は私には不要だし、そう思う人はそう思えばいいと思う。知らんがな。